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完全防音の音楽室は内緒話にはうってつけの場所だ。
おまけに、ここは学校などにある音楽室とは一味違う。グランドピアノ一台とパイプ椅子がいくつかあるだけの狭い空間。ここは、青木奏多が三歳から二十二歳になるまで通い続けているピアノ教室だ。
この辺では有名な音楽教室であるサクマ音楽教室には、ピアノ一台だけの練習室が三室、ピアノが二台並んで置いてある練習室が一室、そしてドラムやギターなどほかの楽器とセッションできる大部屋が一室の計五室の練習室がある。練習室にはなんのひねりもなく、アルファベットのAからDで名前がつけられているのだが、奏多は大部屋である練習室DのDは、デラックスのDだと、ずっと思っていた。
そんなどうでもいい事を考えてしまうのは、きっと理解できない状況からの逃避行動だ。
「あの、すいません。聞き間違えた気がするので、もう一度言ってもらえませんか?」
奏多の言葉に、クールビズの恩恵をまったく受けていないスーツ姿の男はピクリと眉を震わせた。
「この距離で聞こえませんでしたか? では、改めて言わせていただきます。青木奏多さん。私はあなたに好意を持っています。いえ、分かりやすく言いましょう。あなたが好きです。私とお付き合いしていただけませんか」
たっぷりの沈黙をとって、今言われたばかりの言葉を反芻する。ここは完全防音室。すぐ近くの別室で他の生徒がピアノの練習をしていようが、大声で騒ごうが一切聞こえない。余計な音のない空間では、人の声もよく聞こえる。聞き間違いようがないのだが、一向に理解できないのは脳が拒否しているせいだ。
「えっと、失礼ですが、あなたは……」
「存じませんか?」
「会ったことある気はするのですが、すいません……」
そもそも、全くの部外者がこの音楽教室に出入りしているはずはない。目の前に立つ男性の顔も、何度か見かけた事はある気がする。
だからと言って、人の練習中に許可なく入ってきていきなり告白を受けるような間柄ではないことは確実だ。
眉間に皺を作った彼は、仕切り直すかのように、シルバーフレームの眼鏡を少し上げ、軽く咳払いをした。
「それは失礼いたしました。私、サクマ音楽教室の調律師をしております、赤城慶一と申します。歳は三十です」
おう、やっぱり年上だ。と奏多は予想が当たったことに頷いた。
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