茄子漬けと恋

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クラスメイトの吾妻君が焦っている。 いつものクールな彼からは想像できないほど額から汗を流し、 まるで澄んだ空気の公園に咲き誇る、桜のような桃色の唇も少し震え、 女子の間で話題になるほどのその色も鮮度の落ちた鯛のように濁っていた。 そんな結構人気な吾妻君が焦っている。 誰にって、私に。 私のほうが焦るわ。 吾妻君と2人きりで話しているところを、 うるさいほうの女子に見られたら、 明日はネチネチと今のことを聞かれるに決まっている。 ところで今のことって何だろう、吾妻君は何を焦っているのだろう。 「オマエ、浜西小学校の北川だよな」 古い、話題が古いな、確かに私は浜西小学校の北川、北川香奈江だけども、 今はもう深山高校1年生の北川香奈江だよ、 クラスに割と馴染めないまま5月でお馴染みの。 「俺のこと覚えてない?」 いやまあ毎日、目で追っているから知っているけども、 文脈から考えるに、どうやらそういうことではないらしい。 まるで小学校の頃に会っているような。 私は吾妻君に話しかけられたという喜びを必死で押し殺し、 生まれて初めてクールを演じ、渾身のクール一言を放った。 「クラスメイトの吾妻君だよね、小学校の時に会っているのかな?」 『いるのかな?』なんて日本語、初めて使ったけども、 吾妻君が気にかかったところはそこじゃなかった。 「そっか……覚えていないか」 「どこかでお会いしたでしょうか?」 『お会いしたでしょうか』も初めて使った日本語だ。 私にも、こういう言葉のパターンがあったんだと、少し驚き。 「いや、いいんだ、うん」 いや勝手に納得するなよ、吾妻君よ、私と君を繋がらせろ。 「北川、いつか思い出させてやるからな」 そう言って吾妻君は走って去って行った。 思い出させるようなことをすぐに言えぇぇええええ! すぐに友達になってやるよ! いや! もっといってやろうか! コラぁ! ……自分の記憶力の無さを、死にたくなるくらい恨んだ、いや、 元気に生きたくなるくらい恨んだ、この人生、やったるわ! ボケェ!
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