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所長はそう言うと遠くを見た。
何かを見つけようとするように、じっと虚空を見つめている。
我はその表情が美しいと思った。
不思議な感覚である。
その口からどんな言葉が紡がれるのか、我は黙って待っていた。
「或いは救世主の作ったバベルの塔は辞書みたいなものだったかもしれない。神の御業のごとき万能の辞書だ。しかし、その救世主にしても種族の持つ言語の深みを正確には理解していなかったのかもしれん。万能の辞書によって誰とでも意思疎通が図れるようになったとしても、その辞書で表せないものもあるということを、な。……いつかお前の本来の言語で話してみたいものだ」
「ぼくもー」(ああ)
所長はそう言って我の頭を撫でて再び遠くを眺めるように目を細めた。
我も視線を遠くに向けた。
暗闇の中、テントからこぼれる明かりが数メートル先の吹雪を照らしている。
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