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遠くでは、宴会のにぎやかな声がする。
酒が入ったにぎやかさは、ここでも変わらないらしい。
目覚めたばかりで体調が優れないからと人払いをしてしまえば、誰もここにはやって来なかった。
ひんやりと冷たい夜風に頬を撫でられながら、月と星だけに照らされた闇を眺める。
自分がどの時代に来て、誰の人生を生きていて、どうやって元に戻るのか。
日が沈む前から浮かんでは消える、それらの漠然とした疑問の答えは、まだ見つかっていない。
その度に不安だけがわき上がってくるので、これはきっと悪夢に違いない。
「こんなところにいては、またお身体に障りますよ」
「ひっ」
突然現われた明かりに驚いたのか、聞き覚えのあるような声に反応したのか。
「しっ」
静かに。
低く優しい声に諭されるようにして、飛び上がった心臓が落ち着いていくのがわかる。
「私です」
ぼんやりと照らし出された人物は
「せん...」
先輩。
というより、先輩に似た男性だった。
よく日に焼けていて、その歯の白さがよくわかる。
屋内仕事の彼よりも、がっしりしている印象を受ける。
「時間がありません」
なので、手短に申し上げます。
手を取られる。初めて触れた。優しくも無骨な、温かい手だった。
「俺と逃げてくださいませんか」
俺の桜を綺麗だと笑ってくれたのは、あなただけだったから―――。
ぽちゃん
顔を上げてまず襲ってきたのは、あまりにも眩しい光だった。
思わず瞑った目をゆっくり開けると、そこは見慣れた浴室だった。
浸かっている湯は桜色で、すこしぬるくなっていた。
「なにあれ...」
ポプリと一緒に、つぼみのついた枝が湯船に浮かんでいることには、気づかないことにした。
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