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上田宗箇
彼ほど文武に優れた男はいない。
若い時分は武辺者として織田家の重鎮 丹羽長秀の配下として戦場で活躍。
その槍さばきと苛烈な攻めを持って本能寺の変の一件では 謀反人 明智光秀の娘婿にあたる津田信澄という武将を自らの手で討ち取るという武功を上げる。
その後大名に出世した後も自らを研鑽する事を辞めない。
血なまぐさい戦場を駆け抜ける一方で茶聖 千利休に 利休没後は美の怪人 古田織部に弟子入り。茶人としての才を磨いていく。
ここまでなら当時の上方武将の嗜みだが宗箇という男は何事もとことん突き詰める真っ直ぐな男だった。
茶人としての腕もメキメキと上達させ遂には自らの流派「上田宗箇流」を興すまでの茶人となる。
しかし茶人となってもその戦人としての無骨な気性は形を潜める事は無い。
天下統一後の平和な世に流行した雅な茶道とは一線を画す武者の茶と形容される上田宗箇流
茶杓などの動きは直線的で力強く 通常袱紗は左に付けるものだが武人として常に左の腰に差した刀を意識してか右側に付けるなどの特徴がある。
関ヶ原の戦いで大恩ある丹羽家の為に西軍として出陣した故に徳川に家を取り潰されるも自らの価値観で築き上げた美と戦国を生き抜いた武を全国の諸将が欲した。
初めに阿波国 蜂須賀の客将に 次は妻の叔父にあたるここ浅野家に一万石という大名並の破格の俸禄で仕えた。
その先々で作庭に従事しこれまた見事な庭を作り上げその名声は留まることを知らない。
慶長20年 既に戦など遠い昔の出来事となった今 世は最後の戦に向かって転がり落ちている。
戦の直前に長晟の兄で前当主の幸長が死に、あの血なまぐさい戦場の風を知る宗箇は浅野家の重要な戦力として陣を構えていた。
そこに突如若き当主の長晟が訪れた。
突然の事で宗箇も驚いたが 急な来客も心を込めて持て成すのが利休の教え。
菓子も無く質素な木椀 掛け物や花も無いので自らの具足を床に見立てた場に立て 湯を沸かす。
有り合わせ それも陣中に有るむさくるしい物だけで作られた茶室 それでも尚この男がいるだけでそこは世の喧騒から離れた侘び寂び溢れる山居の雰囲気を纏う。
「頂戴致します...」
差し出された木椀をまるで天下の名宝の様に恭しく手に取り長晟は一口濃緑色の茶を口に含んだ。
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