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「伝令」
「なっ・・・なんという事だ・・・」
天正三年(1575年)5月。
五月晴れという言葉に相応しいどこまでも澄み切った青空にヒラヒラと灰が高々と舞い上がっている。
轟々と炎が唸りを上げ兵士達の命を繋ぐ兵糧を蔵の建物ごと飲み込んでいく。
消火すべく雑兵達があの手この手で炎に挑みかかるが火はまだ兵糧を食い足りないのかその勢いは衰えることを知らない。
その荒れ狂う紅蓮の怪物を呆然と眺める若侍がいた。
名を奥平 貞昌 この時若干21歳である。
祖父の代から今川と松平の間を渡り歩いてきた三河の国衆の若き当主である。
彼は今三河の徳川から録を食んでおり手勢500でここ長篠城の守りに着いていた。
この長篠城 平地にある平城で規模こそ大きくないものの周囲は川と断崖絶壁という天然の要害に守られ しかも500の兵士に対し200丁の種子島 おまけに場外に撃ちかける大筒まで配備された城であった。
そんな小さな堅城がいままさに落城の危機にさらされている。
たとえどんな固いく綿密に縄張りがされた城だろうと 屈強な三河武士達が気炎を上げようとも相手が悪すぎた。
今 この瀕死の兎じみた小城に一切の手加減なく襲い来る虎の軍団。
その各陣営に掲げられた軍旗には、かの有名な孫子の一文「風林火山」と武田菱。
その名は武田家。その数なんと15000人。しかも今回はよくある小競り合いとは訳が違い長篠城を囲んでいる武田家の錚々たる男達が陣を敷いている。
戦国に並ぶ者なしと讃えられ恐怖と絶望の赤備え 山県昌景。
これまでの生涯 一度も手傷を負わぬ不死身の老将 馬場信房。
武田二十四将にも数えられる名将 内藤昌豊。
先代真田幸隆の烈火の攻めを受け継いだ真田信綱 昌輝兄弟。
他にも関東近郊の諸将に恐れられている武田家の武将がひしめき合う様に長篠城を包囲している。
その攻めは最早芸術的と言ってもいい。
中夜を問わず響く武田家の咆哮と地の底から響く不気味な作業音。
武田のお家芸 金堀衆による坑道堀の音が徳川兵の僅かな安眠すらも取り上げる。
長篠城ご自慢の200丁の種子島が火を吹いても 幾重にも展開された竹束盾に防がれ いつの間にか建設された櫓から雨のように矢と種子島が撃ち込まれる。
他にも武田家の破壊工作によって土塁は崩され塀は破られる。
これまで数多の城を潰してきた武田家の円熟した攻城戦が若い当主が守る小さな城を嬲るように展開されていた。
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