古民家レストラン

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薬袋は沈黙していた。 しんと静まり返った警察署のどこかで扉の閉まる音がし、獅々友の座る椅子が軋んだ。 「他の医者にも診てもらったそうですが、みんな同じ返事だったそうです」 「そう」と薬袋は生返事に近い相槌を打つ。 そして、薬袋はずっと机の上を見つめたまま、動かずにいた。ただ、思考していた。何も動いていない彼女の姿からは、高速回転する思考の音が聞こえてくる。獅々友は、その音に耳を傾け、沈黙を守っていた。取調室を縁取る静寂が薬袋を見守る。 そして、薬袋は顔を上げた。 「獅々友刑事」 「はい、何でしょう」 静かな取調室に緊張の糸が張った。 「私は貴方に考えを伝えたとして、本当に解放されるのかしら」 「そこは、自分を信頼してくれと頼むしかないですね」 「それは、なんとも身勝手な話ね」 「そうですね……」と獅々友は困り果てた笑みをこぼす。 それから、一度ため息をついて、椅子の背にもたれた。しばらく、獅々友は何かを思案する。 「本当は、これを言っちゃ自分の首が飛んじゃう可能性があるんですがね」 獅々友は降参したように肩をすくめて言った。薬袋はただ獅々友の目を見る。彼の発言の重みを測量するように。 「『風村慎太郎(かざむらしんたろう)』……この名前はご存知ですね」 測量は思わぬ数値を出し、薬袋の脳裏に様々な言葉と数字が渦巻く。 「ええ……もちろん」と、薬袋は動揺を隠しきれず、返事した。「それはつまり、彼が関与しているのね、その事件に」 「いえ、あくまで可能性の問題です。ただ、偶然が重なるのは、少々怪しいと思うのが、普通なもので」 獅々友は笑みをこぼす。同時に、薬袋は獅々友を険しく見やる。本当に調子が狂わされると、薬袋は思った。弱点を知られているのではないかと恐怖すら覚える。 風村慎太郎。 薬袋は、その人物を知っている。 薬袋が所属していた大学院化学専攻の同期であり、そして。 薬袋に濡れ衣を着せた可能性のある人物だった。
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