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「火事だ!早く外に!」
僕は、まだ立ち上がれないエルの手を引っ張って立ち上がらせた。
先程に比べれば、状況が掴めた分だけ少し加減できた。
「待って、部屋の荷物が!」
「荷物は…もう駄目だ」
開きっ放しのドア越しに、先程まで寝ていた部屋を見る。いつの間に火が回ったのか、部屋の中はすでに火の海になっていた。
ハンガーに吊るされた僕とエルの上着が勢いよく燃えているのが見える。
しかしその光景をみても、エルは食い下がった。
「せめて、兄さんの形見だけでも・・・!」
「エル!」
彼女は僕の腕を振り払って部屋に入っていこうとするが、僕は手を離さない。
振り向いたエルと目が合う。
彼女の目尻にはすでに溢れそうなほど涙が溜まっており、今にも泣き出しそうだ。
初めて見た表情だった―――不謹慎だとは思ったが、先程の焦りと危険とは異なるサインが、僕の心臓をドクンと鼓動させた。
「僕が行こう」
「・・・えっ?」
「君の荷物を取ってくる。その、兄さんの形見はどこにある?」
「枕もとのポーチに・・・でも」
彼女の言葉を待たず、僕は部屋に足を踏み出した。
火の勢いは目に見えて強まっていく。行くなら早くしなければ。
すると先程と状況が逆転し、今度はエルが僕の腕を引いた。
「ごめん、私がどうかしてた。やっぱり、いいよ。危ないよ」
言葉では諦める決意をした様に聞こえるが、彼女の弱々しい声色から、諦めきれていない気持ちが伝わってきた。
「すぐに取ってくる。大丈夫だ。だから先に外に出ているんだ」
袖を掴むエルの手をゆっくり振り払うと、僕は踵を返して部屋に飛び込んでいった。
部屋に入ると、たった数刻で身の丈ほど燃え上がっている炎に囲まれた。
熱い。
直に火を浴びるというのは、こんなにも辛いものだったのか。
人間はあらゆる死に方の中で、火に炙られて死ぬのが最も苦痛だと聞いたことがあるが、なるほど確かに納得だ。
今にも炎の渦に飲まれてしまいそうな意識を何とか保ち、エルが寝ていたベッドに近づいて行く。
ほんの数歩の距離が、とてつもなく長く感じた。
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