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彼女が目を覚ましたのは、翌日の昼頃だった。
ちょうど前の日に食べ残したシチューを温めていたところだったので、器によそって彼女に差し出した。
彼女は2,3回シチューと僕の顔を交互に睨み付けたあと、慎重な手つきでスプーンを口に運んだ。そして、小さな声で「おいしい」とつぶやいた。(彼女が僕の料理を賞賛してくれたのは後にも先にもこれっきりだったため、よく覚えている)
僕も自分の器にシチューをよそい、彼女とテーブルを挟んで向かい合うように座る。この小屋で誰かと食事をするのは久々だった。
食事を進めながら、軽く互いの自己紹介を済ませたあと、僕は彼女が雪玉に埋もれて転がってきた経緯を尋ねた。
彼女は慣れない雪の中を移動するうちに街道から離れ、気がついたら山に迷い込んでいたという。そして狼のような獣に追われ、逃げる途中で足を滑らせ転び、斜面を転がり続けるうちに雪だるまになってしまったという事だった。
なかなかツッコミどころのある経緯である。
「ともかく、助けてくれた事にお礼は言っておくわ。」
エルと名乗った少女は、空になったシチューの器をテーブルに置いた。昨晩は閉じられたままだった彼女の赤い瞳が、真っすぐに僕を見据えている。
「でもどうして私が旅人だと分かったの」
僕は、昨晩の観察通り彼女がこの辺りの住人とは異なる身なりをしていることを説明し、更にこう付け加えた。
「黒い髪は、ここから遠い魔法使いの国では貴族の証だろう。その上、髪の長さも権威を示す上では重要とされている。肩の辺りで髪を切り揃えているのは、そういった"しきたり"から抜け出して旅をするためじゃないのかな、と思ったんだ。君が魔法使いであることは、その赤い瞳を見て確信したよ。」
もちろん、僕自身は魔法使いの国に行った事は無い。
たまたま読んだ誰かの冒険記に記されていたのだ。その冒険記によれば、"赤い瞳"は魔法使いの特徴、"黒い髪"は魔法使いの国でも指折りの名家の証であるという。
「ふうん…」
エルは、少し感心した様子で頬杖していた手を解いた。
「当たらずとも遠からずって所ね。確かに、私は魔法使いの国から来たわ。実際、ちょっとだけど魔法も使える。」
そう言うと彼女は指先にポッ、とロウソクの明かりほどの火を灯した。初めて生で見た魔法に、僕はおお、と声を上げる。
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