第1話「ある冬の日の夜」

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「でもね、私は旅人とか、そんな立派なものじゃない。ろくに準備もせずに家を飛び出して来たの。いわゆる家出娘ね。」  エルは軽く自虐をするよう目を伏せ、ふぅと溜息をついた。その溜息によって、指先の小さな火はかき消される。しかし彼女が暗い表情を見せたのは、ほんの一瞬だった。  次に顔を上げて僕と目が合ったときには、エルの瞳は輝いていた。成し遂げなければならない何かが彼女にはある。  そして、それを成し遂げる覚悟もある。とても強い意志を示した表情だった。  彼女は僕の目をまっすぐに見据えたまま、こう言った。 「私はね、"賢者の石"を探しているの。賢者の石を必ず探し出して、手に入れてみせるわ。それまでは、何があっても故郷には帰らない」   "賢者の石"。  初めて耳にする言葉だった。どんな形をしていて、何の目的に使われるものなのか…とても気になった。  しかし僕がエルに石について訊ねると、様々な文献や言い伝えから彼女なりの解釈を説明してくれたが、どうにも的を得ていないように感じた。  要するに、彼女も自分が追い求めている物について、はっきりと分かっていなかったのである。  それからしばらくの間、僕とエルは賢者の石について語り合った。語り合ったと言うよりは、討論に近かった。    彼女が賢者の石について持論を述べ、僕が矛盾を指摘すると、彼女はまた別の見解を述べる。そして僕はまた矛盾を指摘する。  ああでもない、こうでもない。  会話は次第にヒートアップしてゆき、あわやただの口げんかになると言った一つ手前のところで、 「とにかく賢者の石はあるのっ!」  という実も蓋も無い彼女の一言でこの場はひとまず収まった。  二人の間に少しの間静寂が流れたのち、僕は椅子から立ち上がり、シチューの器を片付けた。そしてコップを二つ取り出し、濃い目のココアを淹れた。一つは自分の方に寄せ、もう一つはうつむいているエルの視界に収まるように差し出す。  彼女はココアのコップを両手で包むようにそっと掴むと、目を伏せたまま僕に話しかけた。 「あんたは、ここに一人で暮らしてるの?」  つい先程までの元気がどこかに吹き飛んでいってしまったかのように、しっとりした口調だった。  僕はココアを一口飲んで、答えた。 「そうだよ、今はね。」 「あんたはここで生まれたの?」 「違うよ。」 「そう。」  再び、つかの間の静寂。
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