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 そんなわけで僕はジョッキを手に立ち上がり 「文ちゃん、君の瞳に乾杯」  などと吐き、どっと沸く会場に陶酔しながら、自分のセリフに対してこみ上げる吐き気を飲み込むようにジョッキを開けるのだ。シュワシュワする糞まずい液体を飲み干し、ああ、きっとハリー・ポッターに出てきたポリジュース薬ってのはこんな感じなんだろうな、と考えると、一気にこみ上げてきた。いったん座ってみると逆効果だったらしく腹が圧迫されて余計苦しい。 「すまん、ちょっと、トイレ」  といって席を立つ。周りのみんなはとっくにそれぞれの話題に復したらしく僕の具合が悪いのにもまったく気づかない。 よくみれば、自分が仲良くなりたい異性とばかりしゃべっているので、さっきみたいな状況でもなければ僕のことを気にかける人がいないのも当然といえば当然のように思えた。  先ほどから盛り上がりすぎている僕らの席に対して迷惑そうな視線を向けていた店員たちにこれ以上迷惑をかけるのは忍びないので、絶対に大便器までは我慢しようと必死でこらえながら、トイレに向う。  ゲロゲロゲロ  吐いてみるとたまらなく惨めになった。体内を覆うすっぱいニオイに死を身近に感じる。  ふと顔を上げると、そこに一気飲みの危険を訴えたポスターが貼ってあって、年間の急性アルコール中毒による死亡者数などが書かれ、救急車のイラストが添えられてある。  僕は昔一度だけ救急車に乗ったことがあるのを思い出した。小学二年のときだろうか、盲腸だった。お母さんが一緒に乗って泣きそうにしながら「大丈夫だから、大丈夫だから」とまるで自分に言い聞かせるように繰り返していたのを思い出す。  そうだ。現代における死とはそういうものなのだ。母さんがいて、大丈夫だ、大丈夫だ、と言い聞かせて自分を落ち着かせながらそれでも、もしものことがあったらどうしようとのどを詰まらせるようなのが、僕の死であるべきなのであって、決して弾圧されて捨て鉢になった門徒のようにトランス状態で命を捨てるようなことは現代の死ではない。
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