第五章 蛭田元志

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第五章 蛭田元志

向かいに座る男の顔を蛭田は氷のような眼差しで静かに見つめていた。警察署2階の取調室で今回の転落事故の第一発見者、山井章吾の取り調べを開始した。今回の転落事故は事件性があった訳では無く、あくまで発見者に対しての事情聴取なので、皆がいる刑事課室でも良かったのだが、あまりにも表情に余裕がみてとれ死人を発見した人間の顔では無かった。 「蛭田さん?聴取を…」傍の机でペンを取る佐村翔が促した。 「山井さん、お時間取らせて申し訳ないね…」蛭田はうって変わった表情で微笑を浮かべ聴取を始めた。被害者の島野民子を発見したのは、午後7時50分頃、発見時、被害者は階段のしたで仰向けに倒れており、山井章吾はすぐに知り合いの島野民子と認識し咄嗟に抱き起こしたが、既に息は無く慌てて救急車呼んだ。聴取は淡々と進んでいたが2人のやり取りが佐村には異様に見え、まるでお互いの手の内の探りあいをしているかの様に見えた。 「ご協力、ありがとうございました!」蛭田は山井に謝意を述べた。山井を帰すと蛭田は佐村に 「検死は河山先生だったかな?」思い出したかの様に蛭田は検死医の名を口にした。 章吾は静かに警察署を後にして決められたルートを辿るゲームキャラクターみたいに地下鉄へと向かった。 「転落による頸椎骨折に頭部脳挫傷…死因はそんなもんかな?それでええ?」検死医の河山永吉はテンポの良い関西弁で蛭田に言った。何も言わず横たわる遺体を見つめていた蛭田は我に還り、なんとも言えない表情で河山を見た。両の腕を組み蓄えた髭を右手で撫で 「まあ強いて言うなら、その発見者が抱き起こした時、もう息してなかったって言うくだり?ホンマかな?それ?」河山の解釈は頸椎骨折と脳挫傷には時間差があるのではないか?と言う事だった。頸椎骨折は3ヵ所で重度だが脳挫傷は軽度で即死レベルではないと解釈していた。 「顔にも数ヵ所打撲痕と大腿部後面に軽い内出血あるけど、直接死因とは結び付けづらいかな?たぶん誰かにしばかれた? 」蛭田は犯人がすぐに解ったが口をつぐんだ。 「そちらの都合もあるやろ?ええようにはできんけど、このまま終わりにする?」河山の言葉には少し怒気が含まれていた。確かに上の方ではもうこの件は終わりになっていた。河山は蛭田を見つめていた。 「ありがとうございました!」蛭田は改まって河山に頭を下げた。 「頑張りや!」河山はそれだけ言うと次の仕事を始めた。
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