病めるときも、健やかなるときも。

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「そういえば、八月三十一日だけど、休み取れたから」 運転席のドアを開けながら、蒼さんが思い出したように言う。 夏休み最後のその日は、私達にとって特別な日。 S町の納涼夏祭りを飾るたくさんの花火は、十六年たった今でも、変わらず打ち上げられている。 『来年も、再来年も、二十七歳の俺とも、五十七歳の俺とも、こうやって一緒に花火を見てくれる?』 その約束を、今年こそ叶えられるのは嬉しいことではあるのだけれど―― 思わずうかない顔をする私を見て、蒼さんは八重歯を見せて笑う。 「まだ怒ってんのか? いい加減、仲直りしろよ」 「だって……」 私が十六年ぶりにあの廃病院を訪ねたのは、この土地で暮らすようになって間もない頃のことだ。 かつての記憶よりもさらに荒廃し、恐ろしさを増した様子に一瞬たじろいだものの、蒼さんと手を繋いで一歩足を踏み入れた瞬間、涙が溢れた。 明日香さん、高田さん、吉澤君。かつてこの病院で一緒に過ごした、私の大切な家族。 生身の人間になってしまった私と、数珠を失った蒼さんには、三人の姿を見ることはできない。 それはとても悲しいことではあったけれど、またこうして出会えたことの嬉しさの方が大きかった。 『静香、こっち向いて』 蒼さんにそう言われて、涙で濡れた顔を上げると、すぐにシャッター音が聞こえた。 変な顔を撮らないで、と抗議する私に、蒼さんは笑いながら写真を見せる。 そこには、涙で汚れた顔の私と、あの頃と何ひとつ変わらぬ美しさを保つ明日香さんの姿が映し出されていた。 息を呑む私の肩に、まるで誰かが見えないショールをかけてくれたかのようなかすかな重みと、あたたかさ。 姿をとらえることはできないけれど、三人はちゃんとここにいる。確かに触れ合っている。 その思いが、さらに私の涙を溢れさせた。 『――おい、吉澤、高田。俺が視えないのをいいことに、変なとこ触るんじゃねーぞ』 蒼さんの押し殺したような声に、あたたかかった空気の温度が急速に冷えた気がしたけれど、それはきっと気のせいだと思う。 高田さんの能力のおかげで、筆談――といっていいのかはわからないけど、スマートフォンのメモ画面で会話をすることができたし、全体的には、心温まる感動の再会だった。 ただしそのあと、あんなことが起きなければ――
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