櫻と姪と父と。

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[『櫻と姪と父と。』①]  奈良に向かう特急の車窓を、櫻花の薄紅がぽつりぽつりと彩っている。  奈良に向かう特急の車窓を、櫻花の薄紅がぽつりぽつりと彩っている。 父が長患いの果てに永眠したあの冬から一年が過ぎた。 長男である兄は我が家がある三重を離れ、奈良に仕事を持ち、結婚して家庭を持っているので、昨年秋、明日香村を見渡す土地に墓地を買う権利を抽選で当て、私達家族は一安心をしていた。 その抽選のクジを引いたのは、六歳の姪の澪(みお)だった。 六年前、食道癌を発病した父は、大手術を繰り返し何度も死線をさまよった。その時、義姉のお腹の中にはこの姪の命が宿っていた。 (どうか、産まれ来る赤ちゃんが祖父の顔を知らない孫にならぬよう、父を生かして下さい。そして二人に思い出をたくさん作ってあげて下さい)と私は日々祈り続けた。そして、父の病が確実に快方に向かった春の、3月3日、まさしく雛祭りに、桃の様な頬をした女の子が誕生した。それが澪である。 雛祭り生まれならさぞ大人しい少女に育つだろうと思いきや、澪はお転婆というより「腕白」に育った。しかし、おそらく義姉の胎内にいる時から祖父を心配していたのだろう。物心ついてからの澪は、とてもおじいちゃん好きな孫娘となった。会える度に祖父にまとわりついて離れない。 癌というものは、完治して5年目までに再発しなければ安心できるらしいが、ちょうど5年目に父の癌は気管支に転移した形で発見された。そして完治はもう無理、と言われた。 父は通院と入院を繰り返しながら、残された日々を趣味のドライブや日曜大工や、何度か隣県の孫の下へ出かけていき、孫と時間を惜しむように遊んだりして過ごした。看病の為に仕事を辞めていた私はその間に、車酔いの為に、困難さに断念していた運転免許を取り直すよう父に言われ、「私に何かを託したのだ」と思った私は胃に穴を開けながらも遂に2ヶ月で36歳にしてAT限定免許を取得した。父はベッドの傍の窓から、通学バスに乗り込む私を毎日こっそり見送っていた、と亡くなった後聞かされた。 翌年、父は、正月に奈良まで孫に会いに行った先で意識不明になり、子供が遊び疲れたような笑顔で永眠した。
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