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見下ろすと小笠原がストレッチを始めていた。ちらりとこちらのほうを見た気がしたがすぐに視線はそらされた。首に巻いていたタオルで汗を拭い、立ち上がると走り高跳び用のバーのほうに身体を向けた。今から、跳ぶのだろう。くるくると踵を回した。そして、いつものようにぐるりと右腕を回してから、その場でステップのように足踏みをして……。
――え?
何がどうというわけではないが、何かがいつもと違った。春臣がその違和感の正体に気づかないうちに、小笠原はゆっくりとした助走から徐々にスピードをあげていき、バーの直前で勢いよく脚を振り上げた。
「あっ!」
春臣は思わず窓から身を乗り出した。春臣が見ている前で小笠原の身体がバーと共にマットの上に放りだされる。カラーンと乾いた音をたてバーはマットからグラウンドに転がり落ちた。春臣が固唾を呑んで見守る中、小笠原は足首の辺りを押さえたままうずくまり立ち上がろうとしない。心臓がばくばくと激しく脈打ちがくがくと足が震える。
痛むのだろうか。怪我をしたのだろうか。
今すぐにでも駆け寄って傍に寄り添いたいと思う気持ちと、自分はどうすることもできないし、どうかしたいなどと思う権利すらないのだ、という気持ちが錯綜する。結局は、その場から一歩も動けずただ、呆然と立ち尽くしその様子を遠くから見ていることしかできない。
小笠原は、異変に気づいた他の陸上部員たちに肩を借り、右足を引きずるようにしてグラウンドを去っていった。その姿が校舎に入り見えなくなるまで目で追い続けた後、春臣はずるずるとその場に座り込んだ。
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