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沈黙は西村の側へ移った。
全く予想してなかったな。西村は新鮮な驚きを感じた。他の生徒なら、そういうこともあるだろう。一時的な熱に浮かされて、思い切った道に飛び込もうとする。そのような生徒の場合、西村はもう一度良く考えるように諭す。生徒の決断を否定こそしないが、一時の誤りとならないよう、良く良く考えなくてはならない。しかし、高城は良く良く考えたことを今、西村に伝えている。高城の表情は決意の表情だった。
「そうか。劇団か。驚いたよ。」
西村は圧倒されて思わず言った。
「はい、私、ミュージカルをやりたいんです。才能があるかどうかは分からないけれど、とにかく試してみたいです。」
高城は一気に喋る。懸命な気持ちが語気を強める。
すごいな。西村は素直にそう感じた。
高城は自身の人生をしっかりと把んでいるように見えた。不確実性をもろともせずに。
夕陽は沈む前に光を強める。オレンジ色が西村の背中を鋭く刺した。
「私も、この桜の木が好きです。」
高城は校門まで見送りについて来た西村に向かって言う。
「私、本当は悩んでました。東京に行って、劇団に入って、それで上手くいかなかったらどうしようって。」
陽も沈みかけて、薄闇の中、その桜の木はかえって存在感を増した。枝が空の闇に一体化して、まるで幹がそのまま空に繋がっているように見える。相変わらず花は付けていない。
「でも、花を付けなくてもこの木は桜ですよね。この木のお陰で、たとえ上手くいかなかったとしても、私は私だなって思えたんです。」
高城は木を見上げながら言う。彼女の紺色の制服と黒い髪が、木の幹と空と繋がる。
「ああ、この木は立派な桜だ。花は付けないとしても。」
西村は答える。高城は満足したという笑顔で挨拶をして、校門を後にした。
西村は彼女の影が闇に溶けてしまうまで、高城を見送った。
私も似たようなものだな。西村は思う。
私も私だ。花を付けないとしても。
また、小説を書いてみよう。上手くいかないかも知れない。それでも良い。
西村は心の中で桜の花が開くような気分になった。
了
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