先生

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「あの木は咲かないんですか。」 新任教員の竹崎が尋ねる。 「咲かないな。私はもうここに来て10年になるが、あいつが花をつけたのを見たことはない。」 西村は職員室の窓から校門前の一本の木に目を向けながら答えた。 「あれ、桜ですよね。咲かない桜なんて、少し寂しいですね。」 若い竹崎は素直に嘆く。確かに、咲かない桜なんて、学校にはあまり相応しいものではない。過去には抜いてしまえという教職員もいたそうだ。しかもそれは一度きりではなかった。 しかし、校門の木の植え替えの話が出る度に、歴代の校長が反対したと西村は聞いている。 そうでなければ、やはり、あの木は植え替えることになっていただろう。 校内ではあの桜に触ると大学受験に落ちるとか、恋に破れるとか、そんなつまらない噂話まであった。 「それに、やっぱり不吉ですよね。」 竹崎はそう言って、職員室を後にした。 そうだな、西村も次の授業の為に教室へと移動する。 俺も似たようなものだ。 西村は生徒たちが小テストを解く合間にふと窓の外を眺めて思う。 その教室からはその木は見えなかったが、西村はその木を思い浮かべて考える。 俺もいつまで経っても咲かない花だ。 西村は中学校で社会科の教員をしていた。 教員としては無難に働いている、と西村は思う。 教員という職業に、西村は熱意を感じていなかった。職業選択の必要に迫られて、教員を選んだ。それが西村にとって最も現実的で最も成功する可能性の高い選択だったと西村は思う。そして今もその選択は間違っていなかったと思う。 けれど、職業上の必要以外で、彼は決して教員としての仕事を愛してはいなかった。 むしろ、努めて仕事に対して深入りすることを避けた。教員という仕事の性質上、熱心に仕事に打ち込むことは、却ってその職を失うリスクを高めることになることを西村は知っていた。 実際、彼は上手く物事を処理した。元来、そうした能力が高かったのだ。職業選択は、自らの最も得意とするものを選択するに越したことはない。自分の最も愛する仕事が、自分の最も得意な仕事であることは稀である。 西村の愛する仕事は、小説を書くことであった。
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