先生

3/3
前へ
/8ページ
次へ
西村は学校の廊下を歩きながら、チャイムの音が鳴り終わるのを聴く。 西村の授業は大抵チャイムと同時かそれよりもすこし早く終わる。 多くの生徒はそれを歓迎していた。 「西村先生、この問題の解説が良く分からないので教えてもらえますか。」 高城が西村の足を止めさせた。高城は学年で最も優秀と言われる女生徒の一人であった。成績が良いだけでなく、礼義正しく、真面目で、素直というのが、職員室の中での彼女の評判だった。 「分かった。次の授業で詳しく解説する。」 西村は適当にあしらう。高城の質問はその内容に意味がないことを西村は知っていた。彼女の質問は教員に対するパフォーマンスに過ぎない。だが、そのパフォーマンスは著しく高い効果をあげ、彼女が東京の高校の推薦を得られることは疑うべくもなかった。 高城は西村に対するパフォーマンスを終えると、後から別の教室から出てきた竹崎を捕まえた。 やれやれ、西村は助かったとばかりに、そそくさと 職員室へ戻った。 「高城さん、勉強熱心ですね。」 竹崎は後から職員室に入ってきて、西村に言った。 竹崎は西村に向かって言ったが、ほかの教職員たちは言葉ならずに賛同の微笑みを竹崎に向けた。そして次に西村に微笑む。高城は西村の担任するクラスの生徒だった。 「そうだな。」 西村はコーヒーを飲みながら、竹崎の話を聞く。 もう次の授業まで5分ほどしかない。 「次が始まるぞ。」 西村は慌てて準備を始める竹崎を尻目に、次の教室へ向かった。 2年生の授業は、近現代史だった。西村は歴史の中で、近現代史を最も好んだ。今現在の社会に直接繋がる近現代は、御伽話のような歴史よりも、より現実的で西村にとっては理解し易かった。 しかし、教える立場にとっては、どちらでも良い。 ただ、憶えるべき事柄を伝え、憶えるべき年号を連ねるのだ。 こうして黒板にチョークで書く、様々な戦争の名前は、その戦争の内実から離れて、1つの記号になる。 ア. 日清戦争、イ. 甲午農民戦争、ウ. 義和団の乱、........... 人間は歴史を学ぶことで、過去を御伽話に変え、現実を幻想に変える。 抽象化された世界はやがて再び戦争の現実を突きつけられるのだ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加