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彼が最も出没した時間帯は午前中から正午にかけて。
ビルのエントランスの前が良く見えるこの位置から、カメラのレンズ越しに人々の顔を確認する。
電話もメールも通じなくなった時点で良くわかっている筈なのに諦め切れないのは、
私は一度も彼に自分の本当の想いを伝えられずにいたせいだ。
男性不信だった私が六歳年下の彼に骨の髄まで惚れてしまうだなんて、
自分が一番信じられなかったんだもの。
それを認めるのに多くの時間が掛かってしまった。
今、振り返っても彼との出会いから別れまでの記憶が鮮やか過ぎて胸が苦しくなる。
私に抱かれながら泣き虫の子みたいに、情けない顔を向けて抱きしめてあげた彼は。
今もどこかで独り、泣いてないだろうか?
私を必要としてくれてはいないだろうか?
影が短くなりビルのエントランスにあるカフェで
いつもと同じメニューの昼食をとってから出口に向かう。
その時、懐かしいシルエットが長いエスカレーターを降りてきた。
私にはすぐわかった。
彼は気付いていない。
彼しか見えていなかった私は久しぶりにその名を呼ぼうとしたときだ。
彼の後ろに立っていた少女が、私の方をジッと見つめていた。
彼女の瞳が揺れている。
そして、彼の服を引っ張った少女は彼に言った。
「晴馬?」
私は全てを悟ってしまった。
彼女のお腹は膨らんでいて、晴馬は私を一瞥しただけて冷ややかに「行こう」と言って
少女の手を引いて回転ドアを出て行ってしまった。
―――立ち尽くして見送るしか、できなかった。
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