第1章 傷だらけの天使

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「あのさ、真央。 今夜は夕飯いらないから、取引先との会食に同席してくれないか?」 新聞から目を離さないで、唐突にそんなことを言われた私は肩を怒らせた。 彼の営業活動に私を連れていくということはつまり。 「もしも先方がお前を気に入ったら、一晩奉仕をしてやってくれ」 さらりとそんな無理難題を言う。 私が断れないことを百も承知で、この男は自分の妻を取引の道具に使うのだ。 そこは彼の父親と全くもって同じ価値観を持っている。 女を性奴隷にしか思っていないんだろう。 私は高校三年生の三学期に、この男の父親に買われた。 父が自殺して残された膨大な借金を肩代わりしてやるという悪魔の契約に 藁にも縋る思いで乗ってしまったのが間違いだった。 でも、当時の私には他の選択肢はなかった。 普通の男女の交際経験すらなかった私は自分よりも 40歳年上の男の欲望を満たす抱き人形となり、 新しい若い女が手に入るまでの三年間。 籠の中の鳥は男を喜ばすテクニックを叩きこまれて、 見知らぬおじさんの相手をさせられてきた。 それで膨大な借金を返しているのだと信じ込んだ。 わずか三年で一億円以上もの借金と引き換えに、 私は自分の人生を削ってなんぼだと自分に言い聞かせた。 愛を知らない私にとってセックスは生きる手段だ。 彼らが求める女を見事に演じれば、高額の取引がスムーズに進む。 それはそれで自分の手柄だと思うと値段相応の価値がある気がした。 高級娼婦の何倍も金を稼げることに満足しながら、 私は男の欲望を受け止める術をこの身に浸透させてきた。 だから、和利さんの取引相手の規模が多少劣ることに抵抗感があった。 一晩で数億円の商談を決めた達成感とは程遠い、 そのわずか一割程のために渾身の演技をして仕事を獲得することに、 言いようのないストレスを感じるのだ。
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