第5章 愛するということ

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帰国して自分の為の部屋を賃貸で探し出した。 好きなインテリアにして、自分だけの憩いの場を作ろうと試行錯誤して。 産業施設の空間デザインはあくまで仕事で、本来私は居心地の良い空間を生み出すことに楽しみを感じていることにも目覚めて行った。 高津は相変わらず葉月を連れて海外出張に行ってばかり。 国内の仕事ばかりしかやっていないのに、本当にズレている。 彼は何もわかってない。 顔を見れば嫌味が言いたくなるから、顔を見ないようにしていた。 晴馬の抜けた穴を埋めることも諦め、規模縮小のまま今居る人材でなんとか切り盛りする。事実上、高津の会社は私が経営している。 鬼塚さんの個展が開かれるギャラリーはうちが手掛けた場所だった。 五年も経てば改装工事の話が持ち上がる。 オーナーに直接働きかけてもらって、次もうちで担当させてもらえることになって、起業時代からいるデザイナーとプランニングをしている時だった。 警察から突然の電話。 呼び出されて駆け付けると、10数年振りに見る母の変わり果てた姿を確認した。 父も母も警察署の霊安室で接見するなんて、どんな人生よ! 前とほぼ同じ流れで最低限の葬儀をして遺骨になった母を抱いて、父が安置されている納骨堂に足を運んだ。 スカイダイビングの時、地上から4500メートルの地点で撮影した風景が、あの時の素晴らしい体験と感動を蘇らせる。スマホの中にその画像を入れ、自宅に帰ればもっと大きく引き伸ばした荒野と地平線の写真を壁紙にしている。 それでも足りなくて。 今夜は、とてもじゃないけど眠れそうになくて。 気付いたら、私は晴馬の番号にコールしていた。
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