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「…またまけたーー!」
「もう終わりか、体力が貧弱」
「このやろーーー!」
彼女は花びらの下でばたばたと暴れていた。
この段階まで来たからには事前に言っておくが、もう俺の精神は手遅れだ。
ひっくり返るどころか俺の心はくるくると宙返りして、彼女のほぼ差がないに等しい表も裏もかいらしくて仕方なかった。
だから癪に触って、彼女を何度でも斬り捨てた。
「もういっかい!もういっかいだけ!」
「…わーったよ、来い」
「おらああ!」
真正面から斬りかかることしか出来ないらしい。実に愚かで、美しかった。
俺は、そんな彼女の欠点が嫌いで、
「いっちょあがり」
「またまけたーーー!」
大好きだった。
何度目の桜かは忘れた。
月明かりに映し出される黒い花吹雪を見ていると、彼女がやってきた。
「…どうした」
「眠れなかった。あんたもでしょ?」
「そりゃ、お前がいなくなる前日だし」
「……なんか実感わかないわ、こことお別れなんて。しかも世界がちょっと違うから移動するのに記憶飛ぶとかないだろ」
「まあ普通ないわ。だからこそよく決断したと思うけど、俺は」
空間移動の研究を進める母の元にいたからこそ、俺たちは魔法に守られ、何も考えずに生きてこれた。
そして彼女は、新たな世界へ未来を進めようとしている。守る側の人間になろうとしている。
「この刀で、誰かを守りたいんだ。母さんみたいに魔法の才能はないし、あんたみたいに賢いわけでもないけど。これだけを生き甲斐にしたい」
「…お前は相変わらず綺麗だなあ」
「へ?そんなべっぴんさんじゃないけど」
「顔は冗談みたいだばーか」
「それはそれで殴るぞおい」
本当は行ってほしくない。その純粋な心を手繰り寄せて捕まえて、腕に閉じ込めてしまいたい。
「お姫様のお守り役…一生頑張ってやってみせる!」
「…兵士か、まあお前向きだ」
「えへへーそうか?」
肩をすくめて照れ笑いして、「明日の朝絶対来いよ!」と手を振って駆け出していく。
「!おい、まだ…っ」
走るその背中に手を伸ばしても、指は空を切って降り注ぐ花弁だけを掴んだ。
「…まだ、言ってない」
本当は移動の作用なんかじゃなくて、彼女が純粋に生きていくための故意的な記憶喪失だと。それが見送る側の暗黙の規則なのだと。
…どうせ忘れるのなら、伝えてみたい感情があるのだと。
「…俺も、あの本と何も変わらない」
ひたすら甘ったるい色の気持ちが降り積もって、思わず下を見ると袴に桜が舞っていた。
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