桜の木の下

2/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
さて、こんな話を聞いたことがあります。 毎年良く咲く古い桜の木の下に、大きな石が乗っかっていました。 村人達はさぞ長い間、桜の木は辛い思いをしていただろうと、大きな石を取り除きました。 すると桜の木は枯れてしまったのです。 人も木も皆それぞれ、重荷を背負って生きるもの。 あるがままの生き方が良かったのです。 石の重みが生きる力になっていたのかも知れません。 一病息災ということもあります。 だから、気を張り生きる力になっていたのだと思います。 宗教を学んでいると気づくことがあります。 宗教の多くは 「自分は人としてダメだな」 「私は人としてまだまだ未熟者だな」という 自覚が必要だといいます。 今の自分を一度否定し「自分はまだまだ」と自覚するところからスタートする。 これを、般若心経では 「無無明(むむみょう)」といいます。 また仏教に 「如実知自心(にょじつちじしん)」という言葉があります。 実の如く自分の心を知るという意味です。 この事について武者小路実篤は 「自分の馬鹿なことを知るものは救われる。 自分の馬鹿に気がつかず、他人の馬鹿だけに気がつくのは本当の馬鹿である」と表現しています。 思わず誰かの顔が浮かんで可笑しくなりました。 悩みをなくそうと 努力する人は多いのですが、ある人が 『悩んでいけるようになりました』 という人がいました。 何か不思議な言葉だと心に残りました。 悩むって必要なことなのです。 桜の木の下の大きな石のように。 君の膝枕でそんな事を 考えていました。 『膝枕 桜木の下 匂う君』       おわり 合掌
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!