イノセント・アイ

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 私は思う。  彼は私がいなくても、きっと変わりなく生きていくことができる。むしろ彼の自由を繋ぎ止めているのは私の方ではなかったか。彼の中での私はきっと、上限も下限もない数値の中での、一〇〇と、一〇一の違いに過ぎなくて、等しく大切な世界の一部分に過ぎなかった。それならば彼にとっての私は、彼自身も気づいていないありふれた束縛の一つでしかないのだと言えよう。  話せば、わかり合えただろうか。いや。私のこころと彼の理解が異なることは、どうやったって重なり合うことのない自明性をそなえている。  私からサヨナラをしようと思った。無垢な彼を傷つけた酷い女として彼の心に残りたかった。彼がこれ以上追いすがることがないのはわかっている。例えどんなに私が求めていたとしても。  それならせめて、完成した別れの演出を。 「ねえ。最後に、キスをして」  私と彼の瞳が近付いた。でも、小さく風が吹いて、彼の瞳に写った舞い散る花びらの景色が見えた。そしてそのとき、私にとっての特別は、彼にとっての特別になり得ないことを、そして私自身が彼の中で、特別になり得ないことをやっと理解した。彼はそっと目を閉じる。メンソールの香りがまぶたの奥を刺激する。私の姿は彼の目には写らない。私は、ずっと彼を見ていた。  きっと私がいなくてもあなたの世界はこんなにも満ちている。
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