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翌日。里沙はH駅を降り、ラジオ放送局のビルに足を踏み入れた。総合受付と書かれた二階に向かう。トートバッグには弟が愛用している眼鏡を大事にしまってある。ここ数年はなかったが、以前はこういったこともよくあった。特に売れ始めたばかりの頃の彼はあまりにも過密なスケジュールをこなし、家に帰る時間もない中で、お使いを頼む相手は大抵里沙だった。何ならいざという時の為に合い鍵も預かっている。昔から決して仲が良い訳ではないが、里沙としては、マネージャーのボランティアでもしているような気分だった。テレビ局やら小劇場やら、普通に生活していたらまるで縁のない世界。そんな場所に足を踏み入れられるのも、ちょっとした楽しみとして受け止めていた。
エレベーターを降りる。だだっ広い空間が続くフロアは思った以上に会社然としていた。警備員の男性は彫像のように立ったまま、ぴくりとも動かない。もっと他に良い場所があったのではないかと思いながら、里沙は現在地を連絡し、丸い形のベンチに腰掛けた。
「リサさん!」
しばらくして現れたのは弟のマネージャーだった。相変わらずとてつもなく目が細い。絵で描いたら一本線で終わりそうな、特徴的な目元だ。
「どうぞ。ちゃんと中身も入ってますよ」
「ありがとうございます!」
ご用命の品をケースごと渡す。
「本当に申し訳ありません。新幹線乗った直後に気がつきまして……」
「いえいえ、お気になさらず。顔上げてくださいよ」
マネージャーが深々と頭を下げたので里沙は少し慌てた。彼は心底申し訳なさそうな声で、頭を下げたまま謝罪を続けている。
「本当に助かりました。本当にありがとうございます」
「こちらこそ、いつも弟が大変お世話になりまして。これからも宜しくお願いしますね」
「はい、もちろん! もし良かったら観覧されて行きます?」
「いやあ、それは……」
「あははは。ではまたの機会に! 失礼します」
時間が押しているのか、マネージャーは身を翻してあっという間に帰っていった。よく言えばプロ意識が高く、悪く言えば我の強い弟に今日も振り回されているのだろう。
さて、どうしよう。このまま帰っても良いが、折角ここまで来たのだから。里沙は目的地へ向かって歩き始めた。
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