3.忘れもの

7/8
前へ
/60ページ
次へ
 一階のサテライトスタジオ付近には既に多くの人々が集まっていた。弟の出演する収録開始まではまだ一時間近くある。里沙はなんとなくほっとした。口では何だかんだと言いながら、どうしたって弟の活動は気になる。今日のように現場に足を運ぶ度、ファンの集まるような場所をそれとなく訪れるのも密かな習慣になっていた。 「良かったねー、いい場所取れて!」 「ね! もっと早く来なきゃ見れないかと思ったよ」  前方で交わされる会話に耳を傾ける。熱心なファンらしい。 「久々じゃない? 生放送」 「こないだ来られなかったからほんと嬉しいわー」  幸せそうに笑う声。弟の姿を一目見たいと集まってきたのだろう。本人には口が裂けても言えないが、そんなファンの姿を目の当たりにすると、里沙は誇らしくて仕方がなかった。サラリーマンとしてエリート街道を突き進んでいた彼が、両親や親族、職場の説得も押し切って芸人になると告げたときには、想像もつかなかった光景だ。安定を捨て、立場も捨て、自分の夢の為に生きる。それは、里沙には決して選べなかった道でもあった。  人だかりの奥には大きな窓があり、そこから中の様子が窺える。よくよく見れば人々の間には白い柵が張り巡らされていて、ブロックごとに整理されていく形式を取っているようだった。確かこれは慶一郎一人が出演するラジオだった。スナックのかつての常連、先生の口癖をふと思い出す。当たり前と思うな、有り難いと思え。彼が年に数回、本気で手がつけられないくらいべろべろに酔うと必ずそう口にした。里沙はその言葉が好きだった。  ぼうっと立っている内に、また人が増えた。自分の後ろにも人が集まりつつあることに気づき、里沙はそっとその場を退いた。別に観覧そのものに興味があるというのではない。きょろきょろと辺りを見回す――あった。  観覧スペースを少し外れた場所に、プレゼントボックスが設置されていた。里沙はその机に向かって歩き出す。これもまた、習慣のひとつだった。少しばかり悪趣味かもしれない。弟宛に贈られる差し入れやら、プレゼントやら、手紙やら。里沙にはついついそういったものを観察してしまう癖があった。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加