1.若い女

2/4
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/60ページ
 暖かな色合いの照明が灯る店内は、三連休前とあって常連が軒並み勢揃いしている。天井に上って揺れる白い煙越し、前妻との馴れ初めを延々と語る中年客の横顔が覗く。もう何十回と聞かされた話だ。飽きもせず語り続けるしゃがれ声に負けじと響くのは、カウンターから聞こえるいびきだった。今日のママは機嫌が良いのか、突っ伏して泥酔する客を前にしても、にこにこ笑って平然としている。満席に近い客入りが嬉しいのかもしれない。  壁に合わせてレの字を描くソファの、ちょうど曲がり角にあたる位置が里沙の指定席だった。その角度のきつさから両脇に0.5人分ずつ空きスペースが生まれる為、好きなだけふんぞり返ることが出来る。いつものようにワインレッドのベロア生地に右肘を乗せた里沙は、反対の手で持ち上げたグラスをからんからんと傾けながら目の前の景色を眺めていた。 「ねえ、さっちゃん、ちょっとちょっと」  ママが手を振る。ぼんやり目線を固定していたせいで勘違いさせたようだ。別に、何かねだろうと見ていた訳でもないのだけれど。バケツリレーの要領で客の手から客の手へ、あっという間にマイクが渡る。里沙は慌ててグラスを置いた。既に十八番のイントロが始まっている。中年客は相変わらず馴れ初め話を続けている、いびきもやみそうにない。すう、と腹の底まで息を吸い込む。  たったワンフレーズ。店内に沈黙が降りる。里沙はこの瞬間が堪らなく好きだ。歌い出しの今、自分の声以外に聞こえるものは何もない。すべてを支配しているような錯覚に陥るこの一瞬、ひどく満ち足りた気分になる。手拍子やら、合いの手やら、会話の続きやら、次第に雑音が戻ってきても、心地良いことには変わりない。  酔っ払いたちの拍手を受けて、おざなりに頭を下げながら、里沙はその視線を感じた。勢いよく手を上げてアピールする次の歌い手へマイクを送り出す間も、視線が逸らされることはなかった。またか。仕方なく顔を向ける。一番入り口近くの席、ソファの端に腰掛けた若い女。恐ろしく鋭い眼光だ。ここまで正々堂々と睨み付けられると、いっそ清々しい。里沙は若い女が嫌いだ。若くて綺麗な女なんて最悪だった。関わりたくもない。しかしこうも毎回睨まれては、放置し続ける訳にもいかない。 「あんたさ、こっち、おいでよ」  だから里沙は言ってやった。真正面から視線を受け止め手招きをする。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!