1.若い女

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「出た出た、さっちゃん様の新人いびり。いいよ行かなくて、こっちにいなよ」  若い女の隣、顔を真っ赤にした常連客が陽気な笑い声を上げる。突然の横やりに顔が歪むのが分かった。便乗してあちこちで野次が飛ぶのも無視して、里沙は腕を組んだ。 「うっさいスーさんは黙ってて」 「おおこわい。んなドスの利いた声出さないでよ」 「先に絡んできたのそっちでしょ」 「歌ってるときはあんなにいい声なのになあ、もったいないなあ」 「もう、マリヤちゃん困ってるじゃないの」  呆れた声。珍しい。言い合いとも呼べないくらいの雑なやりとりは客同士のコミュニケーションに過ぎず、わざわざママが割って入るような真似をすることはまずない。マリヤちゃんと呼ばれた若い女は、どんな表情を浮かべたら良いか分からない様子で、中途半端に腰を上げた体勢のままきょろきょろ視線を彷徨わせている。ちら、と一秒、ママの目が光る。里沙は首をすくめた。意識して声のトーンを何段階か和らげて、もう一度手招きをする。 「こっちおいでよ。私のチーズ食べていいからさ。いっつもポテトサラダじゃ飽きるでしょ」  里沙は適当にテーブルを片付けた。先ほどの客が何か言いたげな顔でにやにや口元を緩ませているのが腹立たしいが、まあ、いい。少しだけ尻をずらし女が隣に来るのを待つ。 「名前は? マリヤ?」 「……はい」 「かなり若いよね。いくつ?」 「……」 「ま、言いたくないならいいけど。ほら、食べなよ」  女は目を合わせない。小さな楕円形の皿を押しやる。一番好きなゴルゴンゾーラがかっさらわれていくのを横目に、零れそうなため息を何とか押しとどめる。白くて、細くて、華奢な指だった。指だけではない、近くで見ればますます作り物みたいに整った顔立ちをしている。 「あの、」 「ん?」  彼女はようやく顔を上げた。薄茶の瞳が揺れている。いつものあの目はどこにいったんだと言ってやりたかったが、大人しく続きを待つ。こくん、と僅かに動く滑らかな首筋。 「……私、」  か細い声を遮ったのは、大音量の演歌のイントロだった。立ち上がった客はすっかり入りきっていて、聞き慣れた前口上が始まる。あんまりなタイミングだ。女はほっとしたような顔で背もたれに身を預けた。
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