2.スナックパーチ

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「お疲れ」  時刻は二十時を回った頃、更衣室で帰り支度を整えていると、ロッカーの角から覗き込む長沼の姿があった。彼女も里沙と同じく総合職として働く同僚の一人で、部署は違うながらも親しく話す仲だ。 「お疲れ様です」 「誰も居ない?」 「ええ、私たちだけですよ」  長沼はくるくるとキーホルダーを回した。何やら思案している顔だ。里沙は手を止めて年下の先輩の言葉を待つ。彼女の横顔にかかる髪はところどころ白いものが混じっていて、顔を合わせる度にその量は増えていく一方だが、あまり気にしていないらしい。常に最新の白髪染めを購入しては失敗する里沙とは大違いだった。 「……特番、決まったね」  周囲を見回して他に誰もいないことをもう一度確認すると、長沼は小さく囁いた。 「ああ。そうらしいですね」  里沙には双子の弟がいる。彼はお笑いコンビを組んでおり、有り難いことにそれなりに人気も得て、今ではほぼ毎日テレビに出演するようになった。 『あの、もしかして、ケーブ・ケーブの砂金さんのご家族ですか?』  里沙が転職してきたばかりの頃、恐る恐るといった様子で近づいてきた長沼の表情は今も鮮明に思い出せる。もう十年以上前のことだ。当時、弟はほぼ無名の芸人に過ぎず、里沙はひどく驚いたものだった。真面目腐った顔に似合わず大のお笑い好きだという彼女は、普段から小劇場にも通うほどのコアなお笑い通で、以来、親しげに話し掛けてくれるようになった。 「最近コンビで出てなかったもんねえ。楽しみにしてる」  彼女はからりと笑い、里沙の元を離れた。更衣室の一番奥、左隅にあたる場所が長沼のロッカーだ。里沙にとってはたかがロッカー、どの場所だろうとこだわりなどないが、いつだったか長沼は自ら希望を出して隅にしてもらったと話していたことがある。お互い、別々のところで妙なこだわりがある二人だった。
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