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私があいまいに返事をすると、彼はグラスの縁を指でなぞりながらくつくつと笑った。
「澪が行く疎開先の田舎には、少なくとも座礁船はないだろうけどね」
「海ないんだから当たり前でしょ。それに秩父は田舎じゃないし」
「どうだか」
「で、もし、それがほんとうだとしたら、航くんはなにをお願いするの?」
「そうだなあ」
彼は額に手を当てて考え込んだ。なんてことない些細なことを考えているときにも、深刻な悩みを抱えているときにも出る、彼の癖のひとつだ。
「たくさんありすぎて決められない。澪が決めてよ」
「なんでよ」
あきれて笑うと、彼もつられて笑ってくれた。ふたりの笑い声が静かな喫茶店に響く。
「じゃあ、澪はなにをお願いするんだい?」
そう言われて、私は逡巡した。なにをお願いするんだろう。もしも願いが叶うとしたら、それを叶えてくれる座礁船に、私はなにをお願いするんだろう。
「……はやく戦争が終わりますように、かな」
戦争、と彼が私の言った言葉を繰り返した。窓から外を見上げると、空には燦然と輝く初夏の太陽があった。これから暑くなりそうだな、と私は思った。
喫茶店のテレビでは、今日もニュースキャスターが視聴者にさわやかな声を振りまいている。
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