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この世界は檻のなか。生きると言うことは、その檻のなかに在るということ。すべては句点の向こう。自分の感情は閉じ込めて、自分の都合は押し込んで、ただ他人の言うことに従って生きていく。私は十数年間、そうやって生きてきたんだ。そうすれば先生は褒めてくれるし、両親も少しだけ安心してくれる。それ以外にない。私が生きる理由は、それ以外にないんだ。
――小夜子。
和泉が私を呼ぶ声が聞こえた。鈴の音が鳴るような、胸の奥に響き渡る声。私と言う存在をこの世界に知らしめる、福音のような声。
私は気づいた。和泉に拒まれた世界なんて、なんの意味もないじゃないか。和泉なしで生きていくことなんて、なんの理由もないじゃないか。
――小夜子。
生きていれば制約ばかりだ。大人はみんな自分勝手で、子どもの私に自分の都合ばかり押し付ける。もううんざりだ。私は和泉とともに在りたい。こんな檻のなかではない、もっと自由な世界。
「小夜子!」
階下から男の怒鳴り声がした。いまさっき聞いた私を呼ぶ声は、和泉のものではなかったんだ。私の父親だという男が、また泥酔してわめいているんだろう。母親だという女が、まるで発狂しているようなやかましさで男を罵倒している。母親の悲鳴が聞こえた。何かが倒れ込むような、大きな物音がした。そのあと、少し階下が静かになった。母親の罵倒する声は聞こえなくなった。父が怒りにまかせて床を踏みしめる足音だけが、私のいる部屋にまで壁を伝って響いてくる。
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