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「お父さん、お母さん。明日、高校の卒業式なんだ。私、卒業するんだよ。ここまで育ててくれて、ほんとうにありがとう」
今日までなんども練習を重ねてきた言葉を、きっと受け取られることのないその言葉を、暗い部屋のなかで反芻してみる。私のか細い声は部屋の闇のなかに溶け出していき、空虚な余韻だけが残された。
「喜んでくれるかな。『卒業おめでとう』って、言ってくれるかな」
一瞬だけ、両親の喜ぶ顔が浮かんだ。しかしそれもすぐに消えてしまう。きっとひとはそれを、「幻想」と呼ぶ。
「小夜子!」
また男の怒号が聞こえた。その声と足音で、父親が階段を昇って来ようとしているのがわかった。私はベッドに飛び込んだ。記憶がよみがえる。わけのわからないことを怒鳴りながら暴れ回る男。まるで言葉の通じない怪物。その光景を思い返すたび、身体じゅうの痣や傷が悲鳴をあげるように痛んだ。
「――ッ!」
ふとんを頭からかぶり、声にならない声をあげた。
もううんざりだった。
ここではない。ここではないんだ、私と和泉が在るべき世界は。
こんな鉄の檻に囲まれた場所ではない。和泉の髪の色みたいに煌めいて、和泉の奏でる声のように優しくて、和泉自身のように自由な世界。
和泉みたいになりたい。
和泉みたいに自由になりたい。
ねえ和泉、どうすれば自由になれるの?
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