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父君と妹君を一度に失い天涯孤独となってしまわれた旦那さまにとって、櫻子奥さまの存在はどれほど救いであったことでしょう。
御二方が幸せそうに寄り添い合う姿を見掛ける度に、わたしはその噺を思い出すので御座いました。
それにしても、妙なのです。
この家には雲雀さまの御写真が一枚も残されていないのです。雲雀さまの死を受け入れることの出来なかった旦那さまが、突発的にすべて燃やしてしまわれたらしいのだと奥さまは仰っておりましたが、本当にそうなのでしょうか。
わたしの中にひっそりと芽生えた疑惑は、日を追うごとに大きくなってゆきました。
そうしてあっという間に年月は過ぎ去り、わたしが藤島家に来て一年が経った頃。
「奥さま。櫻が綺麗ですよ」
庭の枝垂櫻は今年も色鮮やかに咲き誇っておりましたが、それに反し、奥さまは額に手を当て気分が優れない御様子でした。
あの枝垂櫻が満開になると、毎年決まってこうなのだと云います。ですがお休みになることを勧めても奥さまは首を横に振られるばかりで、わたしは途方に暮れておりました。
すると奥さまが、枝垂櫻を見つめたまま独り言のように仰ったのです。
「千代、おまえは鳥をあやめたことがある?」
何時もの奥さまからは想像出来ないような台詞に、わたしは言葉を失いました。けれども奥さまは、また独り言のようにお続けになるのです。
「わたくしは、あるのよ、二羽」
風に弄ばれた二枚の花びらがひらひらと、奥さまの御着物の上に舞い降りました。
「一羽は包丁で刺して、櫻の下に埋めてしまった」
あとの一羽は、とわたしが訊ねると、奥さまは震える声でお答えになりました。
「生きたまま、櫻の下に埋めたのよ……」
奥さまは泣いておられました。その頬を伝う涙が、御着物に落ちて点々と染みを作りました。
気付けば、わたしの瞳からも涙が零れ落ちておりました。この御方の、後悔にも似た悲哀の感情が、わたしの心に真っ直ぐ流れ込んで来たような気がしたのです。
枝垂櫻の花言葉は、優美。
奥さまは、美しくも禍々しさを孕んだあの枝垂櫻に対し、ある種の畏れを感じておいでのようでした。
それは二羽の鳥をあやめてしまったことにも関係しているのでしょう。ですが、わたしにはそれが不思議でならなかったのです。
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