プロローグ-1 やんぬるかな花かげの日々

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猫に自意識があることを描いた作品といえば、かの漱石による「吾輩は猫である」がまっさきに思い浮かぶでしょう。猫ならぬ漱石がなぜ我々猫のそれを見抜けたかは不思議ではありますが、大体は小説内での描写に相違はありません。しかし、彼が見落とした点は、その自意識が発露するのは、齢にして十歳を過ぎた頃です。長く生きた猫は神通力を宿す猫又になることも周知の事実ですが、実際の所は少し違います。何でもできる神通力など便利なものは存在しなく、人間の姿になる能力が備わるのみです。ここで初めて猫は自分の意識を言葉にして発することができるようになります。また、十歳というのは猫にして成人を意味する年齢で、この歳から就労の義務が発生します。各市町村にいる猫大将と呼ばれる長老のような存在の猫から、様々な仕事を賜り、猫社会の発展に貢献せねばなりません。  かく言う私、花かげは、現在紅星町の猫大将からある仕事を任されているのですが、これがなかなかうまく行かず、しっぽを撚る毎日が続いております。自慢の全身真っ白い毛も抜ける一方で、愛嬌のある丸顔は心なしか垂れてきているようにも思えます。 それほどに私を悩ませる仕事とは、『翻訳』でした。あるロシアの猫が書いた文章を日本語に訳して欲しい、それが猫大将からの依頼でした。私は日本は愚か紅星町からも出たことがない箱入り娘でしたので、当然外国にも行ったことも無ければ、一緒に暮らしているおばあちゃんも外国語の知識などないので、途方に暮れました。他の人間の手を借りることもできるのですが、たかが猫。コネも無ければ金もありません。英語の通訳ならともかく、ロシア語となるとめったに見つかるものではありません。
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