懐古

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 あのとき手に持っていたクッキーをどうしたのか、私はどうしても思い出すことができません。彼と一緒に食べた気もすれば、差し出すタイミングを無くしたまま持って帰ったような気もします。ただ覚えているのは、彼が別れ際に、「僕は君を忘れないし、君も僕を忘れないと思うよ」と、自信ありげにつぶやいたことです。  彼からもらった箱は、今でもまだ開けていません。開けようと思ったことは何度もありました。ですが、そのたびに、〝強い気持ち〟と言った彼の顔が浮かび、今では無いような気がしてしまうのです。  最近になって、私は彼が、私がなかなか箱を開けられないであろうことを予想していたのではないかと考えるようになりました。  多分、彼は不安だったのでしょう。自分が引っ越した後、自分とは対象的に活発な私が、地面を一歩駆けるたびに、自分と過ごした思い出を少しずつ落としていってしまうのではないかと。  だとすれば、彼の思いつきは大成功です。私は彼の思惑にはまり、あれから四半世紀以上たった今も、彼のにやにや笑いや、ショパンを語る声を鮮明に覚えています。そして、彼を親友だと認めたときの、空に吸い込まれるような清々しい気持ちも。 多分、私は生涯この箱を開けることはないでしょう。なぜならこの中に入っているのは、私と彼の思い出であり、時そのものです。それが捏ねられ、丸められてどんな形をとっていたところで、私にとってそれ以上の意味を成さないでしょう。     
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