懐古

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 聞いた声は、半分かすれていました。そして、彼が口にした学校の名前に気が遠くなりました。そこは、勉強に全くと言っていいほど関心がなかった私でも知っているような、名門中学でした。しかし、私を驚かせたのはその栄名ではなく、私が彼の志に全く気がつかなかった事実と、ここからその中学校までの距離の遠さでした。  「どうして、教えてくれなかったんだい。」  電車に乗って、バスに乗って、丘を越えて、町を越えて、もっと、ずっと、遠く。  自転車に乗って、丘一つ超えることが精々だった私には及びもつかないほど遠い距離に、そんな言葉しか出てきませんでした。  「だって、教えたら気にするだろう。きっと君は、僕と話すたびに、四月まであと何日、引っ越しの日まであと何日って、心の中で考えてしまっていたに違いないんだから。」  そんな心境で過ごすのは楽しく無いじゃないか。  いつもと同じ口調で続ける彼に、私は思いっきり怒鳴ってやりたくなりました。  それがどうした。私は君と同じ中学校に行けると思っていたんだぞ。急にいなくなるなんてずるいじゃ無いか。  でも、どんなにがんばっても声は出ませんでした。口を開こうとすると、唇の端が震えて、上手く言葉にならないのです。  親友だと思っていたのに。何でも話してくれると信じていたのに。  頭に浮かぶ言葉は、しかしどう伝えても私が本当に伝えたいこととは違う気がして、私は黙って自分のつま先を見つめました。  「ねえ、君の誕生日にあげた、青い箱があるだろう。」     
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