章タイトル無し

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 山の上の一本桜が開花したのを知り、私は、会社に休暇願を出して、いさんで花見にやって来た。  一人で桜の巨樹を見上げ、満開の花を愛でていると、どこから現れたのか一人の中年男がかたわらに立った。  桜の樹の下には屍体が埋まっている!  これは信じていいことなんだよ。  中年男が言った。青白い顔をして、ほおはこけ、くぼみの奥の大きな目ばかりが異様な光をおびている。  安吾ですね。  私は応じた。  違う。坂口安吾の小説は『桜の森の満開の下』。今のは梶井基次郎。『桜の樹の下には』。  ああ。  あなたはどう思います? 桜の樹の下には屍体が埋まっている、と思いますか? こんな見事な花を咲かせる訳は、樹木が屍肉をむさぼっているからだ、と。  それは、実際に地面を掘ってみなければ、分かりませんね。  私は笑った。  その必要はありません。あなたの足元に草花があるでしょう? それを引き抜くだけで、屍体の有無が分かります。  私は足元に目をやった。  水仙に似た小さな紫色の花を咲かせ、幅の広いホウレン草のような葉を広げた草花が、そこにあった。  こんな草花あったかな?  私は自問するようにつぶやいた。  さぁ、早く。  なんだかかわいそうだな。せっかく咲いているのに。  いえ。草花もそれを望んでいるんです。さぁ、早く。  私は、広がった葉を束ねてつかみ、ひとおもいに引き抜いた。  ぐわぁーっ!  すさまじい男の悲鳴がした。  なんだ、これは?  ほら、屍体が埋まっていたでしょう。  これが屍体?  根の部分がひからびた人の形をし、まるでミイラのように苦悶の表情を浮かべている。  その草花の名は《マンドラゴラ》。無実の罪で絞首刑になった男が、世の中を呪う為に、生まれ変わった植物です。   
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