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地蔵は無表情に佇んでいる。こんな中途半端なところに、地蔵があるわけない。指先も脚も震えだした。
「和人、帰ろう。なんかやばいよ」
しかしそう言い切らないうちに、和人は動き出した。何もないように、地蔵に向かっていく。
「和人……?」
風が強い。月明かりが花びらに反射して、不気味に桜が降り注ぐ。佇む地蔵はピクリとも動かず、そこにいる。
「和人!」
私は呼びながら、階段を一段上がった――何かが脳裏にチカッと瞬いた。
――あれ?
よく、覚えていない。しかし、何か知ってる。
もう一段上がる。また、何かが瞬いた。茶色い、ふにっとした質感。それに着せた藍色のストライプが入った着物。今のは――人間?
右足は、さらにもう一段踏んだ。目の前を一人の男の子が横切る。知らない子だ。誰だ、君は――。
「!」
気がついたら、階段の上。目の前には、紅白の縄を垂らした大きな鈴が飾られた古いお堂がある。和人を追いかけるのに夢中で気づかなかったが、最上段に来ていたようだ。いつのまにか地蔵も消えていた。
「和人! 帰ろう! 和……」
私は無我夢中で和人の腕を掴んだ。ひやりと風が肌を撫でる。なんだろう、この冷気は。もう、春だというのに。
「……やっぱり、昇らなきゃよかったなあ」
不意に和人が言ったから、私は思わず彼を見た。振り向いた彼は、泣いていた。
「なんか、思い出しちゃった」
「…………何を……」
その瞬間、背筋を雷のような寒気が走り全身に鳥肌が立った。腕の冷気なんか比べ物にならない。
ぼうっと耳に、ほら貝のような低音が聞こえた。一瞬風の音かと思ったが、違う。まるで、それは……
人の声。
辺りを見回した。私には、今まで何も見えていなかった。突然現れた地蔵と、和人の背中以外、何も。けれど、今ならわかる。お堂を囲む桜の林の下からいくつもの白い腕が地面から伸びて、ゆらゆらと揺れている。
私は吐き気を覚えて後ずさりをした。なんなんだ、これは。
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