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◇◇
埼玉県坂戸市――
田舎というには野山が少なく、かと言って都会というには高い建物も少ない。
生活するにはなんら不都合はないが、その代わり刺激もない。
それでものどかで平和なこの街を私、神崎若葉はこよなく愛しており、いつか結婚したらこの街で子育てするのが夢のひとつだ。
もちろんその前に、お相手を捕まえなくてはならないが……。
……そ、そんなことより、次は私の家族の紹介ね!
私は、パパとママ、そしてお兄ちゃんと家族四人で暮らしている。
ちょうど私が生まれた頃に建てられた大きなマンションに引っ越してきた私たち一家。
パパは脱サラして、居酒屋『だいご』を経営し、ママは近くのスーパーでレジ打ちのパートをして働く、典型的な共働きだ。
パパは毎日、夜遅くまで働いているため、私が毎朝家を出る時間はまだぐっすりと寝ている。
お兄ちゃんも朝はめったに起きてこないから、朝食の時間はママと私の二人きり。
……と言っても、私はいつも遅刻ギリギリになって起きるものだから、バタバタと家の中を走り回る合間をぬって、ママが毎朝準備してくれる朝食をかきこむ。
なので、ゆっくりと朝食を取っているのは、実質はママ一人と言ってもよいだろう。
昼間はもちろん家族バラバラで、夜も揃うことはまずない。
もっと言ってしまえば、パパの居酒屋はほぼ年中無休のため、年末年始や盆休み以外は家族が顔を揃える日すらないのが当たり前となっているのだ。
――現代の核家族が抱える問題は、家族の関係が薄れつつあることだ。
と、中学の公民の授業で聞いた時、私の家族は社会問題のど真ん中にあるように思えてならなかった。
しかし、それでも家族に問題があるかと聞かれれば、私は顔を真っ赤にして「ノー!!」と答えるだろう。
なぜなら私たち一家の仲はとても良く、互いに互いのことを思いやっているからだ。
だから自分の家族が大好きだし、誇りに思っているの。
たぶんそれは家族、全員がそうだと思うのだ。
………
……
ゴールデンウィークも終わり、ようやく学校生活にも慣れてきたある日の朝――
この日もいつも通りに寝坊した私は、ドタバタと家の中を駆け回りながら、テーブルの上に置かれたトーストを手に取ろうとした。
そんな時、珍しくパパが朝食に顔出してきた。
「おはよう、若葉!」
眠そうな目をこすりながらも、快活な声で挨拶してきたパパに対して、負けないくらいに元気な声で答えた。
「おはよう、パパ! 今日は早いのね!」
「ああ、ちょっと若葉に聞きてえことがあってな」
「そうなんだ。んで、なに?」
慌ただしく身支度を整えながら、耳だけをパパに傾けると、パパは少し言いづらそうに問いかけてきた。
「いや……再来週の日曜は空いてるか?」
「再来週の日曜日? うーん、土曜日は朝から剣道の稽古だから日曜なら空いてるかも。なんで?」
「ちょっとお願いしたいことがあってな……」
じれったいパパをちらりと見た私は、自分からさらりと言った。
「りゅっしーのお仕事? いいよ、どこに行けばいいの?」
驚いたパパは目を丸くして固まっているが、パパの言葉を待っているほど時間の余裕はない。
私は玄関で靴をはきながら、少し離れたリビングに向かって大きな声を出した。
「私もう時間ないから。あとで場所と時間をスマホに送っておいて! じゃあ、いってきまーす!」
「いってらっしゃーい!」
いつもせかせかと動いている私を産んだとは思えないほどに、どんな状況でものんびり屋さんのママの声を背中に聞きながら、私は転がるようにしてドアの外へと出ていったのだった――
………
……
私の住んでいるマンションから、坂戸北高校までは自転車で片道二〇分の距離。
アルバイトや自転車通学に寛容な我が校だが、さすがに遅刻には厳しい。
午前八時三〇分の始業ベルまで、あと五分というところで坂戸北高校の駐輪スペースに自転車を置いた私は、教室まで飛ぶように駆けていく。
「こらっ、神崎ー! 廊下を走るんじゃない!」
と、廊下ですれ違ったのは担任の、夏谷 知美(なつたに ともみ)、スタイル抜群の美女だがいつもジャージにすっぴんと色気のいの字もない二八歳独身。
通称『ともみん先生』に雷を落とされると、さながら競歩のような姿勢で早歩きを始める。
しかし廊下の角を曲がれば、駆け足の再開だ。
こうして始業からわずか二分前に教室に飛び込むと、「おっはよー!」と大きな声でクラスメイトたちにあいさつしながら自分の席に着席する。
ここまでは、ほぼ毎日変わることのない『日常』だ。
……あっ、一つだけ忘れてたことがある。
それは午前中の授業が終わると同時に購買に駆け込んで、昼食のパンを二つと牛乳を買うこと。
うち一つは大好物の『たまごパン』で、もう一つのパンはその日の気分によって変えている。
そして今日みたいに良く晴れて気持ちのいい陽気の日は、体育館横のちょっとした段差に腰かけてパンを頬張る。
もちろん私の両脇には、いつもの二人……たまちゃんとマユも一緒だ。
たまちゃんは可愛らしいお弁当を毎日家から持参し、マユはコンビニで朝買ってきたものを食べている。
しかし一週間前あたりから、ここまでの『日常』の中に、ちょっとした変化が生じていたのだ。
まるで喉に引っ掛かった魚の小骨にように気になって仕方ない。
それはマユの昼食だった。
そこで今日、ついに彼女へ問いかけることにした。
「ねえ、マユ。お昼にヨーグルト一個だけって、足りなくない?」
マユはやせ型でスラリと背が伸びた体型をしている割にはよく食べる。
入学したての頃は、サンドイッチにパンとおにぎり、さらにお菓子と、運動部の男子顔負けなほどの量で、何も知らない男子が横を通り過ぎた時は「げっ!?」という顔をされたものだ。
そんなマユの昼食メニューが、ここ最近はなんとヨーグルトだけ。
しかも味のついていないプレーンなのだ。
どこか体調に異変があったのかもしれない、と少し心配になってしまうのも親友としては当然だ。
しかし、心配そうに顔を覗き込む私に対して、マユは笑顔ではぐらかした。
「えへへ、ちょっとね」
彼女の様子に、たまちゃんが水筒の温かいお茶をすすりながら言った。
「マユは病気なのねぇ」
「なぬっ!?」
私は聞き捨てならないたまちゃんの台詞に、身を乗り出してマユを問い詰めた。
「ねえ、マユ! どこが悪いの!? 学校に来て、平気なの!? 病院には通っているの!?」
マユはそんな私に対して、引きつった笑みを浮かべてぐいっと両肩を押す。
「待ってよ、若葉! 落ち着いて! どこも悪くしてないからさー」
「へっ!? どういうこと?」
「ふふ、若葉っていつまでも若葉だよねぇ」
「どういうことよ!? たまちゃん!」
ぷくりと頬を膨らませた私に対して、柔らかな笑みを向けるたまちゃんは、相変わらずゆったりとした口調で続けた。
「若葉はいつまでたっても、『純(じゅん)』で『鈍(どん)』だよねぇ、ってこと」
「もう、たまちゃんったら! それじゃ、ぜんぜん分からないよ」
「ふふ、年頃の乙女の病気といったら、一つしかないじゃない。ねぇ、マユ」
たまちゃんに話題を振られたマユの顔が、みるみるうちに赤く染まっていった。
どんなに『鈍』な私でも、彼女の顔色が変わった原因はすぐに分かるというものだ。
「うええっ! もしかして『恋の病』!? マユ! ねえ、そうなの!?」
「ちょっと、若葉! 声が大きい!」
「嘘でしょ!? ねえ、誰!? いったい誰なのよ! 言わないと私、大声だしちゃうから!」
「やめてよ、若葉ー! すでに声、超デカいしー!」
「いいから早く教えてよ! もう昼休み終わっちゃうじゃない!」
「もー、仕方ないなー……。誰にも言っちゃダメだからね」
私の気迫に根負けした彼女は、ぽつりぽつりと恋模様を語り始めたのだった。
………
……
「ふーん、バイトの先輩ねぇ」
たまちゃんが、相変わらず食後のお茶をすすりながら、しみじみと言うと、いつもしっかり者のマユには似合わない恥じらいの笑みを浮かべる。
「いいなぁ、マユ。これこそ私が夢見ていた『青春』だよ」
私はまるで自分が恋に落ちているかのように、ふわふわと浮かんでしまうような心地だ。
もちろん羨ましい気持ちもあるが、それ以上に親友が『青春』していることへの喜びが大きかった。
「あはっ。まだ始まったばかりだから、焦らないで頑張るよー」
と言うマユがひどく大人びて見える。
そんな彼女が眩しくて、ため息をつかざるを得なかった。
「はぁ……。やっぱり『恋』をすると女は成長するものなのかしらね」
「ふふ、若葉はいつまでたっても若葉のままだと思うけどぉ?」
「むむぅ、たまちゃん! それどういう意味よ!」
「あははっ! それより若葉はどうなのよ? 『キグジョ』の次の予定は決まった?」
マユは話題をそらしたかったのか、私のバイトのことを聞いてきた。
実はゴールデンウィークのフリーマーケット以来、私は一度も『りゅっしーの中の人』のアルバイトをしていない。
部活をしていない代わりに小学校の頃から続けている剣道クラブに通い続けており、意外と土日も忙しく過ごしているというのもあるが、一番の大きな問題は、『りゅっしー費用』を商店会がねん出できないという、生々しい「大人の事情」であった。
そこで商店会でのイベントではなく、各店舗が費用を負担して開催するキャンペーンにりゅっしーを派遣するという形が取られたが、経営が思わしくない店舗が多く、なかなかりゅっしーの出番が訪れなかったのだった。
そんな中、今朝方、パパにりゅっしーの新たなお仕事を依頼されたのである。
「うん、再来週の日曜にやることになったよ」
「えっ!? そうなの!? どこ!? どこでやるの!?」
マユの食いつきが異常に良いのは、恐らく彼女は私がりゅっしーに入ってハプニングに巻き込まれるのが楽しみでならないのだろう。
興奮する彼女をしり目に、私はパパから届いたメッセージをスマホで確認しながら、淡々とした口調で答えたのだった。
「春川理容店だってさ」
と――
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