第二話 春川理容店 いつも空いてる指定席

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◇◇  五月も後半に差し掛かったとある日曜日の午後――  いよいよ私にとって二回目のりゅっしーの中の人になる時を迎えた。    今回お仕事をする場所は、日曜日に歩行者天国となる春川理容店の目の前の通りで、控室は春川理容店の奥にある春川宅の居間だ。    早速りゅっしーの着ぐるみの中へ入ると、すっかり忘れていた立ちくらみするような蒸し暑さに襲われる。  それでも二回目ともなれば順応するのも早いもので、大股で店の前まで歩いているうちに暑さは吹き飛び、「頑張るぞ!」というやる気がみなぎっていた。  そして待ち構えていた子どもたちに手を振り始めたのだった。     「あれはなあに?」 「あの『変なの』はりゅっしーって言うんだよ! ダンスが面白いんだよー!!」  と、りゅっしーを知る子が知らぬ子に対して、『口コミ』を積極的にしてくれるものだから、今回は藤田不動産の健一おじさんの出番は少なそうだ。   「りゅっしー! 踊ってー!」 「りゅっしー! ダンスゥゥ!!」    と、フリーマーケットの時に比べればだいぶ規模は小さいものの、子どもたちが甲高い声で求めてくると、私のボルテージもいきなり最好調に達する。    パンッ! パンッ! パンッ!    私が手拍子をすると子どもたちと周囲の親たちもそれにならった。  そうしてじゅうぶんに場が一体になったところで、前回と同じようにダンスを始めたのだった。   「ワアァァァッ!!」  商店街が子どもたちの歓声に包まれていくと、自然と大人も子どもとも立ち止まり、理容店の周りに集まり始める。    しばらくして、りゅっしーを中心とした大きな人の輪ができたところで、パパが大声で店の宣伝をし始めた。     「みんなご存知、春川理容店は今年でなんと創業五〇周年! 確かな技術と店主の心意気が光る春川理容店をこれからもよろしくな! 今日は日頃の感謝を表して、カットとシャンプーをワンコインの五百円! なんと消費税込みの五百円でご案内中! こんなチャンスもうねえぞ!」  どこで身につけたのやら……。  まるでテレビショッピングの売り子のような滑らかなパパの弁舌は、私が踊りを止めて聞き入ってしまったほど、人の心をぐっと引きつけるものだったのだ。    するとゾロゾロと店の中へと子どもと親たちが入っていくではないか。   ――ちょうど良かったわね! ワンコインなら切っていきなさい! ――ええっ! りゅっしーをもっと見たいよぉ!  という親子の会話があちこちから聞こえてきたところで、私はちらりとパパの方を見ると、パパはニンマリと私に笑いかける。   ――大成功だわ!!  と、心の中でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。    こうしてりゅっしーが客寄せをして、パパや健一おじさんが宣伝をするという絶妙なコンビネーションで、たちまち店の内も外も人で溢れかえっていったのだった――     ……… ……  今日は私が無理をしすぎないようにパパが隣できっちりと時間を計っている。  まるで首輪につながれた猛犬のような気分だが、なんでもやりすぎてしまう自分の性格を考えればそれも仕方ないだろう。    最初の二〇分が過ぎたところで、私はりゅっしーを脱いで『神崎若葉』に戻った。  手渡されたスポーツドリンクを一気に飲み干す。  体と頭にパワーがチャージされたところで、汗を拭いて持参した普段着に着替えた。  そうして、ほっと一息つき、ぼーっと天井を見上げた。    あまり他人様の家の中にたった一人でくつろぐという経験のない私。  慣れない景色と香りそして静寂に、じょじょに居心地が悪くなってしまったのも無理はない。    そこでお店の様子を見にいくことにしたのだった。     ……… ……  目立たないように、こっそりと理容店の中へと入ると、思わず目を大きく見開いてしまうくらいにびっくりした。  だって、普段は閑散としている理容室の待ちあいスペースが、人で埋め尽くされているのだから……。  お客の熱気が充満し、せっかく着ぐるみを脱いだばかりだというのに再び息がつまりそうだが、繁盛している光景を見るのは実に気分がいいものだ。  私はニコニコしながら、さりげなく待ちあいスペースの中に身を置くと、暑さで頭をからっぽにしながら店内を見回したのだった。  入り口近くのカウンターには、吉太郎おじさんの奥さんである美佐子おばさんがおり、笑顔を振りまきながら、てきぱきとお客の誘導と会計を一人でこなしている。    また、店の奥のカットスするペースでは、吉太郎おじさんとタマエおばあちゃんがカットを担当し、美容専門学校へ通う吉太郎おじさんの息子と娘の二人がシャンプーを担当している様子が目に入ってきた。     「すごいなぁ!」    まさに一家総出で目の回るような忙しさをこなしている様子に、思わず感嘆が漏れてしまった。  すると私の存在にようやく気付いた美佐子おばさんが、ニコリと笑いかけてくれた。     「これも全部、若葉ちゃんのおかげだねぇ。本当にありがとねぇ」  ぼーっとしながら店内を見ていた私は、おばさんの声に反射するように背筋をぴんと伸ばした。   「い、いえ! 私は別になにも……」 「ふふふ。若葉ちゃんが頑張ってくれているから、こんなに繁盛しているんだよ。ありがとう」 「は、はい! ど、どういたしまして!」  知り合いとはいえ、年長者からお礼を言われ慣れていないので、こんな時にどう反応していいものなのか分からずに戸惑ってしまう。  だから固い言葉とともにペコリと頭を下げるしかできなかったのが恥ずかしくてならない。 ――きっと笑われちゃうんだろうな。  と、恐る恐る頭を上げた私だったが、既におばさんは何事もなかったかのようにお客の対応に戻っていた。  それでも私の胸はドキドキと高鳴ったままだった。   ――人から感謝されるのって、すごく恥ずかしくて、嬉しいものなのね!  と、新たな発見に自然と頬の筋肉が緩んでしまうのを抑えきれない。  その顔を見られまいと、カウンターを背にして吉太郎おじさんたちが仕事をしている方へと顔を向けたのだった。      しかし……。  直後には、その筋肉はダイヤモンドのように硬くなってしまうことになろうとは――    カラン。カラン。    と、カウンター横にあるドアが開けられたことを示す鐘の音とともに、美佐子おばさんの大きな声が響き渡った。   「いらっしゃいませー! って、あらまあ!」  おばさんの言葉が途中で止まったのは、お店に入ってきたお客が何か『特別』だったからに違いない。  私はいったい誰が来店してきたのだろうと、不思議に思ってくるりと振り返った。    するとそこに立っていたのは、すらりと背の伸びた青年だった。  感じの良い短髪に、まるでうら若い乙女のような中性的な顔立ち。    誰が見ても「イケメン」と言うであろう彼と、私はばっちりと目が合った。    みるみるうちに顔が沸騰したかのように熱くなっていく。  恐らく熟れたリンゴのように真っ赤になっているに違いない。    私が何か言おうと口を開いたが、先に言葉を発したのは彼の方だった。     「若葉……。心配だったからきちゃった」  甘いマスクにピタリと似合う、セクシーな低い声。  そんな甘い声で「お前が心配だった」と言われたら、普通の女子なら嬉しさのあまりに腰がくだけてしまうだろう。    しかし、私は違った……。     「ちょっと! 『絶対に来ないで!』ってあれほど強く言ったじゃない!」 「だって……」 「だって……じゃないの! 早く帰ってよ!!」  なんと私は、目の前で私のことを心配してくれている彼を追い払おうと必死になったのだ。    なにも事情の知らない人が見れば、目を丸くするに違いない。  でも誰が何と言おうが、私は彼が近くにいるのが絶対に嫌なのだ!    なぜなら……。     「もうっ! 恥ずかしいからここにいないで! お兄ちゃん!!」  そう……。  彼の名は神崎 吾朗(かんざき ごろう)。  れっきとした私の『兄』なのだから――    
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