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「妹を……! 若葉のことを幸せにしてやってくれ! この通りだ!!」
どこまでも突き抜けていきそうな鋭く、大きな声でそう言い放ったお兄ちゃん。
垣岡先輩はどうしたらよいか分からずに、小さく口を開いたまま固まってしまい、奥でカットしていた吉太郎おじさんやタマエおばあちゃんの手さえも止まってしまった。
こうして店内はしばらくの間、静寂に包まれたのである……。
もちろん私も例外ではなかった。
いやむしろ、店内でもっとも狼狽していたのは私だろう。
だって、憧れの先輩にお兄ちゃんが私に代わって『告白』しちゃったんだから!
「は、はあぁぁぁぁ!?」
ようやく我に返った私は急いでお兄ちゃんの前に飛び出すと、先輩に向かって手が引きちぎれるくらいに横に振った。
「せ、せ、先輩! 今のはなしです! なんでもありません!!」
「えっ……? ああ、うん」
なおも困惑を隠せないでいる垣岡先輩から背を向けた私は、顔を真っ赤にしてお兄ちゃんに詰め寄った。
「お兄ちゃん! なんてことを言ってくれたのよ!! 冗談にも言っていい冗談と悪い冗談があることくらい、知ってるでしょ!!」
鬼気迫る表情で迫った私に、お兄ちゃんは目を丸くしたが、それも束の間、すぐに穏やかな表情になって答えた。
「ははっ、若葉。お兄ちゃんは冗談で言ったつもりはないぞ。可愛い妹の幸せを願わない兄が、この世にいると思うか?」
「な、な、なんですって!? あ、あ、あんな恥ずかしいことを、本気で言ったの!?」
「当たり前だろ。……んで、悠輝。どうなんだ? 若葉のこと、幸せにしてくれるのか?」
「えっ!? ええっと……。それは……」
お兄ちゃんの鋭い眼光が向けられる中で、垣岡先輩は戸惑いながら真剣に答えを悩み始めた。
緊張がこっちにまで伝わってきそうなくらいに張り詰めた沈黙が続く……。
そんな中、私は心の中で悲嘆にくれていた。
――バカ! お兄ちゃんのバカ! 答えは『ごめんなさい』に決まってるでしょ! ああ……。こうして私の恋は始まる前に散ってしまうのね……!
しかしその一方で……。
――垣岡先輩は優しいから、もしかしたら『はい』と言ってくれるかもしれない! もしそうなったら私……。きゃー! どうしよう! きゃー!
と、ありえない妄想にごろごろと悶絶して転げまわっている自分もいたのだった。
ふと、先輩と私の目が合う――
互いの胸の高鳴りが、さながら協奏曲のように聞こえてきそうなほどに、店内は静寂に包まれていた。
そしてついに先輩が重い口を開こうとした。
「お、俺は……」
……と、そこにすかさず横やりをいれたのはお兄ちゃんだった。
しかも、再び周囲があぜんとするようなことを言い出したのだ……。
「おいおい、悠輝! そんなに悩むことじゃねえだろ!?」
「えっ!? どういうことですか?」
「だって『すれ違った時に挨拶をかわす程度の友達』なってくれればいいだけなんだからよ」
――すれ違った時に挨拶をかわす程度の友達……ですって?
あまりの衝撃的な言葉に誰しも言葉を失っていた。
先ほどまでの張り詰めていた緊張の静寂とはまったく異質の静寂に支配される店内。
その中で一人だけ平常通りのお兄ちゃんが、眉をひそめて再び口を開いたのだった。
「おいおい、なんなんだ? 若葉は悠輝と挨拶できる仲になれれば、それだけで幸せだろ? まだ友達じゃなかったから、名前を呼ぶだけで思いっきり噛んじゃったんだろ?」
次の瞬間……。
私の中で何かが大爆発した。
無言でお兄ちゃんの耳をむずっとつかむと、二人でそのまま外へ出る。
そして一度大きく息を吸い込んだところで、耳元で大絶叫したのだった――
「お兄ちゃんのバカァァァッ!!」
と――
………
……
しばらくした後――
ようやく私が落ち着いたところで、垣岡先輩は帰っていった。
先輩を目の前にして、さんざん大暴れした私……。
しかしそんな私に対しても先輩は、
――これからよろしくね! 神崎さん!
と、爽やかな笑顔を振りまいてくれた。
だが私の心の中は漆黒の闇に包まれていたのだった。
「はあ……。絶対に幻滅されちゃったよ……」
大きなため息とともに、がくりと肩を落としながら、小さくなっていく先輩の背中を見つめていた。
するとあれほど私に罵倒されても、けろっとしたままのお兄ちゃんが軽い調子で笑い飛ばした。
「何言ってるんだ? よかったじゃないか。俺のおかげで友達同士になれたしな! はははっ!」
私はお兄ちゃんに対して、きりっと鋭い眼光を飛ばしながら口を尖らせた。
「ちょっと! 誰のせいで幻滅されたと思ってるのよ! お兄ちゃんのせいだからね!」
「幻滅? 悠輝が?」
「そうよ! きっと私みたいな子にはもう二度と関わりたくないって思ったに違いないもん!」
「はははははっ!」
ぷくっと頬を膨らませる私に対して、腹を抱えながら大笑いするお兄ちゃん。
「なにがそんなにおかしいのよ! 私が垣岡先輩に嫌われたのが、そんなに嬉しいの!?」
「はははははっ! 若葉は面白いな!」
「なにがそんなに面白いのかって聞いてるの!」
「だってよ。若葉は好きなんだろ? 悠輝のこと」
「えっ!? そ、それは……」
いきなり「好きなんだろ?」とストレートな質問をぶつけられて、私は目を白黒させてしまった。
一方のお兄ちゃんは大笑いを止めると、目を細めて穏やかな口調で私に告げたのだった。
「いや、別に『男』として好きか、『人』として好きかは聞いてねえよ。それはどっちでもいいんだ」
「えっ? あ、ああそうなのね。なら……もちろん好きよ。良い先輩として」
私がしどろもどろに答えると、お兄ちゃんは口元を緩めた。
しかし直後には真面目な顔つきとなって問いかけてきたのだった。
「だったらなんで信じてやれねえんだ?」
「……信じる?」
「そうだよ。若葉は、自分の好きな相手のことを、そんなに器の小さな人間だと思ってるのか?」
その言葉を耳にした瞬間に、パンと頬を張られたような衝撃が走る。
私が目を丸くしたところで、お兄ちゃんは諭すような口調で続けた。
「もっと自分に自信を持て、若葉。好きになった相手のことを信じてやれるくらいにな」
お兄ちゃんの言葉が胸にずんと響くと、完全に言葉を失ってしまった。
私の正面に立ったお兄ちゃんは、頭の上に優しく手を置いて続けた。
「それに半歩かもしれねえけど、悠輝との仲が縮まったじゃないか。今までは『ゼロ』だった関係が今日から『一』になったんだ」
「関係が『一』に……」
「そうだよ。そうやって『一』を積み重ねていけば、いつかきっと『百』や『千』になれるはずだ。いつまでも『ゼロ』の関係ほど、寂しいものはないぜ」
その言葉を聞いた瞬間に、今まで雨模様だった心の中が、急に明るくなったような気がしてきた。
――そうか……。今日、私は垣岡先輩との関係が始まったんだ!
ふと、髪が目に入ってきたので顔を上げる。
すると、私の表情が明るくなったことが嬉しかったのか、満足そうに笑顔を浮かべながら私の頭をなでるお兄ちゃんの姿が目に入ってきた。
次の瞬間、はっとあることに気付いた。
――これってもしかして……!
私は目を大きく見開いてお兄ちゃんの顔を見つめる。
その視線に気付いた彼は、目を細めて「若葉、よかったな」と穏やかに声をかけてきた。
そして私の頭をそっとなで続けていたのだった。
――やっぱりそうだ。
そう確信した私は、ついに重い口を開いたのだった。
「……早くその手を離して。気持ち悪いから。さりげなく私を触らないでよ!」
と――
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