第三話 居酒屋『だいご』 若葉の初任給

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◇◇  翌朝――    私はさっそく『家族へのプレゼント』を、初めてのお給料で準備しようと行動にでることにした。    しかし恥ずかしながら、私は『家族へプレゼント』をまともに買ったことなどない……。    もちろん、母の日や父の日などの記念日にちょっとしたお菓子やお花を買ったことくらいはあるけど、いざ『初任給のプレゼント』となると、どこで何を買ったらいいのやら、さっぱり見当もつかなかったのだ。    スマホの音声検索を駆使して調べたものの、どれもピンとこずに、けっきょくモヤモヤしたまま校門をくぐったのだった。    いつもと変わらない時刻だが、考えごとをしながら廊下を歩いていると、目の前から担任のともみん先生がやってきた。     「こらぁ、神崎ー! また遅刻ぎりぎりに登校して! 廊下を走るな……って、あれ? 今日はやけにしおらしいじゃないか」 「あっ、先生。おはようございます」  まるで借りてきた猫のようにペコリと頭を下げる私を、きょとんとした表情で見つめていた先生は、驚きのあまりにかすれた声で問いかけてきた。     「おい、神崎。どうした? 熱でもあるのか?」 「いえ、元気です。むしろここ十年は風邪ひとつ引いたこともありません」 「……そうか、ならいいんだが……」 「はい、では失礼いたします」  と、私は最後まで『優等生』の受け答えをして教室の方へと向かっていった。  だが、そんな私の背中に向かって、ともみん先生はなおも声をかけてきたのだった。     「おい、神崎! ちょっと待て!」  思いがけず厳しい口調だ。  今日の私は誰が見ても『優等生』であり、そんな口調を向けられる筋合いはない。  私は眉をひそめ、頬をぷくりと膨らませて振り返った。     「先生! なんですか!?」  と、先生に負けないくらいに強い口調で言い返した直後だった。  無情にもあの高い音が学校中に響き渡ったのは……。    キーン、コーン、カーン、コーン――     「あとで職員室へくるように」  前も言った通り、私の高校は自転車通学にもアルバイトにも寛容だが、『遅刻』には厳しいのだ――     ……… ……  放課後――     「なるほどねぇ。初めての給料で、家族にプレゼントかぁ。泣かせてくれじゃねえか、神崎」  ともみん先生の感情のこもった声が部屋の中に響き渡る。  私は朝と変わらずしおらしい声で言った。     「はい、でもなにを買ったらいいのか分からなくて、思わず足が鈍くなってしまったんです」 「そうか、そうか」 「はい、だからそろそろ終わりに……」「おい、誰が手を止めていいって言った!」  ともみん先生の鞭のような鋭い一喝が飛ぶと、私はふくれっ面になって再び手を動かし始めた。  今、私はこの部屋……つまり用務室で、がらくた整理をさせられている。  それは今朝の遅刻したことへの罰だ。    今日はお給料が出たばかりだから、マユたちと川越へ行って『ムンフロ』のフラッペを飲む予定だったのにぃ!    ちなみに『ムンフロ』とは『ムーンフロント』という外国に本店があるカフェで、高校生や大学生をはじめとする若者たちに絶大な支持を集めている。  そこの新作フラッペの画像をSNSに投稿するのが、私たち女子高生の『常識』なのだ。    きっとマユとたまちゃんは、哀れにも囚われの身となっている私のことなど置き去りにして、ストロベリーとホワイトチョコが絶妙なハーモニーを奏でる新作フラッペに舌づつみをうっているに違いない。    遅刻してしまった自分が悪いのはじゅうぶんに分かっているけど、大事な青春の一ページを失ってしまった、焦りと喪失感に心を曇らせていたのだった。      そうして、空の色が青からオレンジに変わろうかというところで、ようやく先生から解放される時を迎えた。     「今日はこんなところでいいだろう。これからも神崎が遅刻してくれれば、この部屋はぴかぴかになるんだけどな! ははは!」 「もうっ! 笑いごとじゃありません! けっきょく家族になにを買ったらいいか、分からずじまいだったし!」  私がむくれた顔を向けると、ともみん先生は豪快な笑い声から一変して、穏やかな顔つきで言った。     「まあ、そうカッカするな。いいか、神崎」  そこで一度言葉を切った先生は、さらに低い声で続けた。     「大事なのは『何をあげたのか』じゃないんだ。『どうあげたか』なんだよ。それは近しい人であればあるほど問われるってもんさ」 「えっ……? どういうことですか?」 「ふふ、いまいちピンとこないかもしれないが、すごく大切なことなんだぞ。その意味で言えば、神崎はもう合格してると私は思う。つまり、何を選んでもきっとご家族の方は喜んでくれるはずさ」  ますます意味が分からなくなってしまい、私は問いかける言葉すら失う。  すると先生は私の肩にポンと手を置いて言葉を締めくくったのだった。     「そうだな。それでもまだプレゼントを選びたいというなら、お前のお母さんと一緒に選ぶといい。家族のことは、母親に任せるのが一番だからな。さあ、暗くなる前に帰れ」  最後の最後まで先生の言いたいことは分からずじまいだった。    でも、はっきりとしたのは、私一人では決め切れないということだ。  そこで、先生の言いつけの通りに、ママと一緒にプレゼント選びをすることにしたのだった。   ◇◇  そして、日曜日――    金曜日の夕方にママをつかまて、プレゼントを一緒に買いに行って欲しいと頼み込んだ私は、最後に一つ付け加えた。 「パートの帰りに一緒に商店街行ってくれればそれでいいから!」  しかし、ママは首を横に振った。 「あら、なに言ってるのよ。せっかく若葉ちゃんからのお誘いなんだから。川越まで行きましょ」  と、目を輝かしながら答えると、その場で職場に電話して休みを取ってしまったのだ。  しかしここまでならまだ想定内と言えよう。  と言うのも、ママはさらに驚くべき行動に出たのだった。  なんとお出かけする当日、朝五時に起きて化粧やら洋服選びやらし始めたのだった。  ちなみに家を出るのは午前一〇時過ぎを予定しており、つまりママは五時間以上も前から準備を始めたことになる。  物音がしたため、つい起きてしまった私が眠い目をこすりながら理由を問いかけると、   「だって若葉ちゃんと二人きりでお出かけなんて初めてだもの! ママ、気合い入っちゃうわ!」  とのこと……。    これじゃあ、まるで付き合い始めたばかりの彼氏とのデートみたいじゃない。  ……って、私はそんな経験は一度もないから、正確なことは言えないけど……。      こうして私とママの『初デート』は、おひさまが地平線から顔を出す前から始まった。  もちろん私には「家族へのプレゼントを買いに行く」という大きな目的があるわけだが、なにやら思惑通りにいかなそうだ。  それは、鏡と向き合って真剣な表情で化粧に挑みかかっているママを見れば、火を見るより明らかだった――    
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