3.つかず離れずの永遠だったもの

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僕は目の前にいる男に礼を言うべきなのだろう。こうして落ち着くまで、何度も今日という日をやり直させてくれたのだから。 「記憶を消すのは簡単だ。薬の入った煙を、吸わせればいい」 葬儀屋はスーツのポケットを軽く叩く。紙の煙草が擦れる乾いた音がして、僕は間抜けな声を上げた。彼は僕の記憶を消すために、律儀に喫煙していたことになる。 「意外とアナログなんですね」 「これでもバレねえように、気を遣ったんだよ」 「それはどうも」 僕は立ち上がる。手に持っていた日記の紙の束を離す。僕が僕を再構成するための因子だったそれは、ぱさり、ぱさり、と一枚ずつ風に舞って、床へと落ちた。 「葬儀屋さんは、どうして僕にそこまでしてくれたんですか」 「生前のお前に、ちょっと助けられたことがあってな」 「意外と義理深かったんだ」 僕の言葉に葬儀屋の肩が揺れた。 「僕が残してしまった家族は、元気ですか?」 「さあな」 「責任持って品質は統一してくださいよ」 「ここに来てからお前に付きっきりだったんだから、わかるわけねえだろ」 葬儀屋は、喪服のネクタイを緩めながら徐に溜息を吐いた。 「でも、まあ、同居も終わったことだ。一度くらいは様子を見に行ってやるよ」 「安心しました」 窓を開ける。目前に広がるのは花曇りの空ではなく、真っ白な世界だった。 「がんばれよ」 背中に、春の風を受けた。 ???はい。 聞こえたか、わからない。 それでも振り返らずに返事をして、僕は一歩目を踏んだ。悲しい別れに僕は泣きそうになりながら、奇妙な日々をちょっと笑ってみる。 一枚目の紙は「目の前にいるその男は、思ったより悪いやつじゃない」と綴られていた。その言葉を幾度と信じてきたんだ。 僕は、再びこの世界で見つけた懐かしい言葉たちを、薄れる意識の中で探し始める。
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