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「18歳、男、石川県出身東京在住、高校中退、作詞家。……与那原 由多(よなはら ゆうた)」
僕が人差し指で紙をなぞりながら読み上げると、葬儀屋は退屈そうに頷いた。彼の仕草から、何度となく繰り返されたやり取りであろうことが伺える。
どうやら僕は、与那原 由多と言う人間であるらしい。
「本当なんですかね?全く思い出せないんですが」
「二十五回目」
ペットボトルからミネラルウォーターをこくりと飲み込むと、葬儀屋は言った。
「その質問はもう二十五回目だ。……その次は“喉乾きませんか?"って言おうとしたろ」
図星だった。
捉えようの無い不安も、目の前の胡散臭い妙齢の男に対する疑心も、全てがストンと胸に落ちる。僕には柔軟性が備わっているわけではない。ただ、物事を深く考えることに疲れやすいだけだ。
僕の記憶は、24時間ごとにリセットされる。
どこからどこまでを覚えているのか、正確にはわからない。少なくともこの四畳半で日常生活を送るに足りる知恵だけを忘れていないのが幸いだった。
この厄介な現象の説明を含め、僕という人間の何たるかと、今日までにあった出来事は、すべて紙に記されていた。
一日ごとに一枚。僕は僕のために日記を書いて生きている。
「僕は、天涯孤独の身なんでしょうか」
「なぜそう思う?」
葬儀屋が薄ら笑いを浮かべた。
「家族のこと、この日記には何も書いていないから」
「与那原家は父親、母親、あと小さな妹とお前の四人家族だな」
ああ、僕にも家族がいたんだ。
本来ならば僕が一番近いはずの関係性を、どこか遠い心地で聞いているのは不思議な感覚だ。
「でも、お前以外は皆死んじまったよ。車で移動中、土砂崩れに巻き込まれてな」
狭い部屋が、静まり返った。
僕には家族の記憶なんて無い。無いものに対して、情は沸かない。
わかっているのに、悲しいような寂しいような、胸の奥が締め付けられるような、そんな気持ちになった。どうしようもなかった。
僕は乾いた唇を開く。
「あのう」
「なんだ?」
「えっと、冷蔵庫、どこですか?」
葬儀屋が肩をすくめた。
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