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瓶入りのソーダ水が、二本。
葬儀屋はアルミ製の蓋を空けた後、窓の外をじっと見つめていたので、僕も倣って窓の外を見た。そうして黙って、春の空を見ていた。霧か霞か雲か、どこか白くぼやけている。
対比して鮮明に映るのは、葬儀屋の黒いスーツ。それが喪服だと気づいた。
葬儀屋の仕事は、死に際の両親が託した「ひとり遺してしまう息子に、寂しい思いをさせないように」という願いを叶えることらしい。
もっとも綺麗な口上だが、それは後追い自殺をさせないよう、僕を見張ることだとも言える。
それってつまり、彼は人間じゃないということかとも思ったが、どうせ明日には忘れてしまうのだ。受け入れようと一瞬で決断した。
葬儀屋の誤算は、僕の記憶が期限付きになってしまったことだった。
彼はしばらく、24時間ごとに記憶を失う僕に、付き合わざるをえない。
「今日聞いた中だと、俺の名前と冷蔵庫の話は初めてだったよ」
「はあ」
「もう一度話すのは面倒だから、日記に書いておいてくれ」
「……家族が死んだって話は、どうしましょう?」
「それは書かない方が良いだろ。明日のお前のために」
「明日の僕、のために……」
ぶっきらぼうに投げられた言葉を、咀嚼して飲み込むように繰り返す。
葬儀屋が煙草を持った指で示す先には、紙が詰まった段ボール箱。そこに僕は、繰り返される今日と云う日をはらりと入れた。
春の風は、ほのかに線香の香りだった。
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