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2.星の届かないところで哲学
僕の一日は、正午過ぎから始まる。
午前中の時間は全て、紙に目を通し、記憶を取り戻すことへ費やさなければならないからだ。まるで夏休みの宿題みたいだ。
「それでも最初の頃は、1時間もしない内に終わってたんだぜ」
ベッドに寝転がりながら、葬儀屋は言った。せっかくのスーツが皺になってしまうのを、気にも留めない。
日々を重ねれば重ねた分だけ、紙の枚数は増える。読み込むべき記憶と費やす時間も増える。
「クソ重いデータをダウンロードするコンピューターみたいだな」
「他人事だと思って」
葬儀屋はちらりと僕を見て「他人事だし」と言い放った。
「このまま、僕の一日の自由時間が夜だけになったらどうしよう」
続けて彼は、鼻でフンと笑った。
気だるそうな彼によると、今日は春の彼岸入りで、ようやく気温が上がったらしい。暑さも寒さも彼岸までというやつだ。部屋の片隅には昨日まで、電気ストーブが置いてあったそうだ。
巡りめぐるこの季節の中で、僕だけが置いていかれる。
「僕、外に行きたいです」
それは衝動的だったとも言えるし、リセットされ続ける記憶の奥底で願い続けていたのかもしれない。
葬儀屋はわかりやすく顔をしかめた。
「お前、この街のことも覚えてないだろ?」
「ええ、まあ」
「一人で歩かせるわけにはいかない」
「そのためにあなたがいるのでは?」
会話が途切れる。規則正しくカーテンを揺れる。少し静かになる。
「俺は、普通の人間には見えねえんだよ」
吐き捨てて、葬儀屋は立ち上がった。
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