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勢いよくガラス窓を開ける。途端、ぶわっと冷たい風が四畳半を抜けた。干しっぱなしのくたびれたシャツの裾が開く。
「お願いします」
タールの重い煙草を咥えた葬儀屋は、ぎょっとした顔で僕を見る。その反応から、昨日までの僕なら食い下がらなかったことが明白だ。
「なぜ急にそんなことを言い出す?」
「僕は作詞家だったんですよね」
それは日記に書いてあった、僕の情報だった。
葬儀屋は一瞬言葉を詰まらせる。再び口を開くのに、そう時間はかからなかった。
「そうだ。文壇、音楽界、文化賞……天才少年の与那原 由多は、どこでも引っ張りだこだったよ」
真っ白な記憶で目覚める時、葬儀屋は僕を天才くんと呼んだ。それは彼なりの嫌味だったのだ。
「僕、次から次へと言葉が浮かんできて苦しいんです。この四畳半じゃ、消化なんてできない」
「天才特有の崇高な悩みですか」
「なんと言われても構いません」
今朝の僕は、段ボールの底に潜っていたCDを聴いた。本に書き留められた詩を読んだ。僕の名前が連ねられているのに一切覚えの無いそれらは、どれも僕を満たしてはくれなかった。
僕は行きたい。生きてみたい。まだ知らない外の世界を。
煙を一層深く肺に吸い込んで、葬儀屋は呟いた。
「俺がなんで葬儀屋って名乗るか、わかるか?」
「いいえ」
「依頼元の故人を、ちゃんと葬ってやれるようにだ」
ここでの葬るとは、成仏、お迎え、天国、例えばそんな言葉で表される行為を指している。彼は淡々と説明を続けた。
「お前が悲観して自殺なんてせずに、ちゃんと生きていける確証を示せれば、お前の家族……つまり俺の依頼人は、未練を持たずにあの世へ行けるんだ」
それが葬儀屋の仕事であり、彼が大きな欠伸を数え切れないほど零しながらも、此処に留まる理由。
それならば、話は早い。僕は口を開く。
「外へ行きたい。それが僕の、今をちゃんと生きるための理由だ」
僕は笑う。葬儀屋も不機嫌なりに少し笑う。
「人があまり出歩かない夜なら、な」
嗚呼。僕の過ごせる時間が夜だけになるという予想は、思っていたよりも早かった。
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