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「大丈夫か? なるべくゆっくり走るから」
夫の言葉に妻は緊張した面持ちでうなずく。
急カーブが多く、少しでも気を抜いたら道路の向こうの崖に落ちてしまいそうだ。それだけではない。
人の気配がまったくない山奥の山道は寂しく、心細さと不安をかりたてた。
見える景色は道路の両脇に並ぶ黒々とした木々以外何もない。
すぐに男はこの道を選んだことを後悔する。
早く家に辿り着こうと考えてのことだったが失敗だったかもしれない。
これなら、遠回りでもまともな道路を走ったほうが安心だったかも、と思ったときにはすでに遅い。
引き返すにしても道幅が狭くUターンをできる場所もない。
つまり、先へ進むしかないのだ。
何度目かのカーブにさしかかったとき、前方を照らすヘッドライトに人影が映し出された。
白い着物を着た長い黒髪の、おそらく女性。
その女は両腕をだらりとたらし、うつむきながら崖の渕にたたずんでいる。
ゆっくりと顔をあげたその女が、にいっと口角を吊り上げ笑ったような気がした。
突如、脇にたたずんでいた女が、車道の真ん中に向かってふらりと歩き出す。
「危ない!」
女をよけようとして男は咄嗟にハンドルをきる。
響く急ブレーキ音に混じり、運転する男と助手席に乗っていた妻の悲鳴が夜の闇につんざく。
車は大きく道からそれ、ガードレールを突き破り崖下へと転落してしまった。
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