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ある山の中腹の少し広い広場に、ポツンと桜の木がある。今では僕以外、誰もが忘れている桜
昔はよくここで彼女に会った。僕は地主の息子で、彼女は百姓の娘。会えば無理矢理引きはがされ、父に二度と会うなと何度も言われた。しかし、僕はそんなことを聞かず、何度も彼女と会った。好きだったからだ。彼女も僕を好きでいてくれた。だから、僕たちはいつもあの場所で会った。あの場所なら誰にもバレずに会うことができ、2人の邪魔をするものは時間以外何も無かった。
この幸せが永遠に続く。子供だから、そう思っていた。思っていたかった
「やぁ、今年も綺麗に咲いたね」
満開の桜を見上げ、僕は呟いた。ここには誰も居ないが、誰にも聞こえぬように、彼女だけに聞こえるように。彼女は返事をせず、ただただ静かに立っていた。
――十年前、大きな飢饉が起きた。その時、人柱を立てようという事になったが、それに僕が選ばれた。日頃の地主への恨みかららしい。だが、僕は人柱に立つことは無かった。彼女が止め、自分が人柱になると言ったそうなのだ。僕を助けるために、自分の命を枯らす道を選んだのだ。そして、彼女は人柱となり、埋められた。僕たちがいつも会っていた、あの場所に
「あれから十年、あの時みたいな飢饉はない。君のおかげかな」
風が吹き、花弁を散らす。それは、まるで人が頬を赤らめるように、地面を桜色に染めた。いつまでも此処に居たい。だが、父に見つかれば、二度と出られないかもしれない。
「また来るよ。少なくとも、来年の今日は、必ず。……大丈夫、僕は絶対、君を忘れたりしない」
そう言い、僕はその場所を後にする。桜の枝は、手を振るように揺れていた
「桜の木の下には死体が埋まっている」という言葉があるが、実際は「死体の上に桜が植わっている」だ
桜は記録に残せないような故人の墓標として、鎮魂の意味で植えられる。そして桜には、こういう花言葉がある。「私を忘れないで」
僕は必ず此処へ戻ってくるだろう
僕だけが覚えている、忘れられた儚い墓標に
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