第1章

3/20
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
 目の前の変な人間にも臆せず握手をし、こう返すことができたのは、一重に彼が不思議な空間で浮いているうちに、気分がよくなっていたからだろうか。  この申し出を聞いた人間は、少しだけ考え込んだ後に、今度はこういってきた。 「本当ならそうした方がいいんだけど、まあ急ぎでもないしね。すぐにってわけでもないんだ。  ……それと、君はどうやら星を観測したいようだね。ああ、いわなくても分かる。じゃなきゃ望遠鏡なんて買わないだろうし」  そう。この人間のような者が指摘したように、彼には趣味が必要だった。有意義な趣味は、有意義な人生に繋がるだろうと思ったからだ。  しかし、彼は決してこれまで無意味な人生を歩んできたわけではない。  学生時代には運動部で汗を流してきたし、結婚だって経験した。付けっぱなしの指輪は、夢の中でもやっぱりそのままだった。  それではどうして昼間から一人で寝転がっていたのか。  実は彼の最愛の妻と一人息子は、交通事故によって少し前に他界していたのである。  これまで自分の家族のために働き、家族を心の拠り所にしていた彼にとって、この喪失はまさに体をもがれるような痛手であった。  さらに彼は、小説やドラマでよくあるような話だが、自分の両親が早くに鬼籍に入っていた。つまり今は天涯孤独の身になっていたのだ。  「うん。実はそうなんだ。でも生憎、今日は雨で星も見れない。まあこういう場所であんたみたいな変わったのに出会えたから別にいいけどね」  この現実ではあり得ない出会いに満足するほど、彼は人に飢えていた。厳密には人ではないのかも知れないが、それはこの際どうでも良かった。  それを聞いた人間のような者は、困ったように指先で頬を掻いて見せた。 「折角いい買い物をしたんだし、初っ端から雨で観測できないのも可哀想かも知れない……よし、では今夜は快晴になるように、おまじないをしてあげよう」  おまじないという言葉に、つい彼は吹き出してしまった。目の前にいる不可解な存在が、やけに可愛らしい言葉を使っていることがおかしく感じられたからだ。  きっとこの時、彼の寝顔は笑っていたことだろう。  そこまで話して、彼は目の前の人間……というか、彼が勝手に人間だと思い込んでいる者の名前を知りたくなった。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!